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「今戸焼発祥之地」

招き猫発祥の地で沖田総司終焉の地?

★ジャンル【産業】 
★場所 台東区今戸1-5-22
★最寄駅 東武スカイツリーライン浅草駅、東京メトロ、都営地下鉄浅草駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
碑横の解説板
「今戸焼とは現在の台東区今戸の地で焼かれてきた日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。地元の今戸神社にある狛犬台座には宝暦二年(一七五二)に奉納した四十二名の陶工らの名が刻まれており、数多く軒を並べていたことが伺える。今戸焼の起源は定かではないが、伝承では天正年間(一五七三〜九一に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たともいわれる。「今戸焼」の名としては十八世紀末頃から明らかに見られ、十八世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われる。隅田川沿岸はかつて瓦を含めた土製品の生産が盛んであったようで、瓦町の名や瓦焼が早くから知られていた。江戸時代の文献である「江戸名所図絵」には瓦造りの挿絵がみられ、「隅田川長流図巻」(大英博物館所蔵)には今戸焼の窯が描かれている。近年の江戸遺跡の調査によって施釉土器、土人形や瓦等が多く出土し、そのなかには今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦もみられ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されている。関東大震災や東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも製作されている」

★解説
 浅草から隅田川沿いを北東に進んだ今戸神社境内にあります。
 江戸で使う食器などの陶磁器は、ほとんどが現在の愛知県あたりの産でした。江戸では陶磁器に適したいい粘土が採れなかったからだと思います。しかし浅草周辺は例外的にまあまあ陶器になる粘土が採れたようで、土人形、火鉢、植木鉢、瓦など重くてあまり質が問われない製品が主に作られました。
 今戸焼の起源はわからない、と解説でも書いていますが、相当古いと思います。浅草寺を作った3人のうち、1人は浅草の有力者土師氏で、この氏族は土器作りの名ですから、古代から陶器作りを行っていたのだと思います。
 江戸は人口が多く、大消費都市なので、土人形のようなものも重要な製品でした。そのデザインの一つに、今も作られている招き猫があり、ここを「招き猫発祥の地」とする説もあります。招き猫については、世田谷区の豪徳寺に伝わる井伊家に関わる伝承があり、豪徳寺が発祥である、との説も有力です。私は伝承は豪徳寺で起こり、その製品化を今戸で行ったと思っているのですがどうでしょう。
 この今戸焼ですが、震災や戦災などもあり、今戸からは移転していった窯元も多く、現在は1軒だけが江戸以来、土人形などを作っているだけだそうです。
 そして碑の横に小さくまた別の碑が建っているのが気になりますね。「

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