法政大学発祥の地1

「法政大学発祥の地」

「日本近代法の父」を祖と仰ぐ

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区神田駿河台1ー8
★最寄駅 JR御茶ノ水駅

★碑文
「法政大学の前身である東京法学社は、一八八〇(明治十三)年四月、旧駿河台北甲賀町十九番地池田坂上(現在、千代田区神田駿河台一丁目八番十三)に設立されました。翌年五月、東京法学社の講法局が独立して東京法学校となり、その開校とともに日本近代法の礎を築いたフランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まりました。その後、和仏法律学校を経て、一九〇三年八月、法政大学と改称されました」

★解説
 御茶ノ水駅西口をでて南へ坂を下り、杏雲堂病院前の歩道にあります。碑によると、正確な発祥地は杏雲堂病院奥の日大敷地になるようです。また杏雲堂病院には「大久保彦左衛門(忠教/おおくぼ ひこざえもん/ただたか)屋敷跡」の碑もあります。
 法政大学の創立記念日は東京法学社が設立された4月10日ですが、この法学社は、現代で言うと弁護士事務所と大学が一緒になったものでした。社内の「代言局」が弁護士事務所で、「講法局」が大学でした。しかし設立後間もない翌年に法律が変わって併設が禁止されたため、講法局が独立して「東京法学校」と改称します。
 創立者はともに九州の杵築藩士の子だった金丸鉄(かなまる まがね)・伊藤修(いとう おさむ)と東京で知り合った薩埵正邦(さった まさくに)らで、彼らは皆、当時明治政府の依頼で法律整備にあたっていたフランス人学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの教え子でした。ボアソナードは1873年(明治6年)に来日以来、10年以上滞在して日本の法制度の基礎を整え、「日本近代法の父」と呼ば

これより有料です。以下には記事全文のほか、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

669字 / 2画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?