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「伝染病研究所発祥の地」(東京大学医科学研究所発祥の地)

東大医学部VS慶應医学部、確執の源泉

★ジャンル【病院】
★場所 港区芝公園1-1
★最寄駅 都営三田線御成門駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「北里柴三郎は 福沢諭吉はじめ民間の援助を受け明治二十五年十一月三十日この地に開設された大日本私立衛生会附属伝染病研究所において 細菌学の研究を開始し伝染病の撲滅に多大の貢献をした 爾来伝染病研究所は幾度かの変遷を経て現在に至っている 創立百年にあたり ゆかりの地に碑を建て 先人の偉業を顕彰するものである」

★解説
 「日本近代初等教育発祥の地」の碑の後ろ側、高層ビル建設と同時にできた御成門駅の新しい出入口裏にあります。しかし造園業者さん、植物の選定を間違ってます。これでは碑面が見えません。こういうものを置く場所なのですから丈の低いものにすべきです。
 さて北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)は幼い頃からとてつもなく優秀だったようです。1869年に熊本医学校に入学すると、たちまち語学を習得してオランダ人教師の通訳になります。その後1875年に東京医学校(現東大医学部)へ進学し、ここで病気になる前に病気を防ぐ予防医学の重要性に目覚めます。
 1885年にドイツに留学し、結核菌やコレラ菌を発見して「近代細菌学の開祖」と言われたロベルト・コッホに師事し、その間破傷風菌の純粋培養に成功、血清療法も編み出します。さらにジフテリア菌の研究で大きな成果を挙げますが、共同研究者がノーベル医学賞を受賞したのに、北里は受賞を逃します。人種差別が理由と巷間言われますが、当時は共同授賞という考え方がなく、止むを得ない結果だったようです。
 その後1892年に帰国しますが、留学中にその留学への道筋をつけた東大教授の脚気細菌原因説を批判。学問的には正しかったにもかかわらず、東大閥から「恩知らず」と忌避されます。このため医学界で絶大な力を持っていた東大の怒りを恐れ、世界的学者である北里の国内での活躍の場がなくなってしまいました。
 これを惜しんだ福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)や実業家の森村市左衛門(もりむら いちざえもん)、内務省にいた医師の長與專齋(ながよ せん

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