「学習院(華族学校)開校の地」
東京外大、東大と並んでいた学習院
★ジャンル【学校】
★場所 千代田区神田錦町2-9
★最寄駅 東京メトロ竹橋駅
★碑文
「弘化四年(一八四七)京都御所の日御門前に公家の学習所として設立された『学習院』は、明治十年(一八七七)華族学校『学習院』としてこの地に創立されました。 同年十月十七日に明治天皇、皇后両陛下をお迎えして開業式がおこなわれました。 現在学習院は、豊島区目白に大学、高等科、中等科、幼稚園、新宿区戸山に女子大学、女子高等科、女子中等科、新宿区若葉(四谷)に初等科の各学校を設置しております。 この碑は、学習院創立百二十五周年記念事業として、学習院の同窓会である桜友会の寄贈により建立したものです」
★解説
碑があるのは神田橋の少し北を西に入った一角です。碑のうしろに居酒屋チェーンが写っているのがご愛敬というか、学習院の名に似つかわしくないですが、今はごく普通の雑居ビル街です。碑が建てられたのも平成になってからです。
「学習院」という名の学校は、碑にもあるように江戸時代に京都御所そばに作られましたが、これは公家の学問所というべきもので、明治になって創立した新「学習院」とは直接のつながりはありません。こちらは華族(江戸時代の公家に加えほとんどの大名)の子弟の教育を行う学校でした。ですから現代の学習院もこの1877年(明治10年)を創立の年としています。
東京外大の項でも書きましたが、学習院ができた頃の付近には東大始め多くの学校が集まっていました。これは幕末にこの辺りが江戸城の火除けのための空き地であり、新たに広い敷地を必要とする学校の建設に好都合だったからです。
開校時は小学科、中等科がありましたが、当初から軍事教育が重視され、1885
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