東京女学館発祥の地1

「東京女学館発祥の地」

少年院跡に移った女学館

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区永田町2−18−1
★最寄駅 東京メトロ永田町・赤坂見附駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文「東京女学館は、明治二十年この地(旧松平出羽守邸、俗に雲州屋敷、のち閑院宮邸)を皇室より貸与され、翌二十一年開校した。その后、麹町三年町(旧工部大学校)に移り、「虎ノ門女学館」と称せられた。大正12年関東大震災のため焼失したので渋谷御料地に移り、女子の一貫教育の場として今日に至っている。こゝに、往古を偲び、将来の弥栄を祈り、創立百周年を記念して碑を掲げる。」

★解説
 青山通りを赤坂見附から登った右側の石垣に埋め込まれています。石垣内の大邸宅は衆議院議長公邸です。ほとんどの議長が住まない、と聞いたことがあります。ただ外国の国会議長などが来日すると、迎賓会場として使われるようです。
 女学館は学費が高い学校として有名です。ですから高収入の親を持つお嬢様しか入れないわけですが、それは設立当初からの由来にも拠っているようです。
 このすぐ隣りに華族女学校(現在の学習院女子大)があった時代もあり、華族ではないが、実業家など時代の先端教育を子女に受けさせたかった明治の上流階級がその受け皿として作った、という見方もできるかもしれません。

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