府立第四1

「東京府立第四中学校発祥の地」(戸山高校発祥の地) [マガジン「東京23区発祥の地めぐり」無料サンプル記事]

國學院と戸山高校は兄弟校?

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区飯田橋3−5
★最寄駅 JR、東京メトロ飯田橋駅

★碑文
「明治三十四年(一九〇一)、東京府立第四中学校が、この地にあった皇典講究所で開校しました。同所は 明治十五年(一八八二)に国学を研究する目的で設けられたもので、明治二十一年(一八八八)に 同じ地内に開設された補充中学校が、共立中学校、東京府城北尋常中学校と名を変えて府立第四中学校となったものです。その後、府立四中は明治三十七年(一九〇四)に市ヶ谷加賀町に移転し、戦後は新宿区戸山町に移り 東京都立戸山高等学校となっています。」

★解説
 先に紹介した日大、國學院開校の記念物からやや九段側の歩道上にあり、住所は同じです。
 「府立四中」と言ってもどこのことかよくわかりませんが、あの名門都立高、戸山高校のことです。戸山高校は皇典講究所がルーツで、日大、國學院とはいわば兄弟と言っていい学校です。今ではだいぶイメージ違いますね。
 当初は皇典講究所で学ぶための準備をする「予科」学校でしたが、1891年(明治24年)に私立共立(きょうりゅう)中学校と改称します。ライバルとなる開成は共立学校でした。ややこしいです。その後1894年(明治27年)に東京府に移管され東京府城北尋常中学校と改称します。ここで伝統ある「城北」の名が出て来ます。戸山高校同窓会の名称は今も「城北会」です。
 1898年(明治31年)には漢学者の深井鑑一郎(ふかい かんいちろう)が校長に就任しますが、すでに1891年(明治24年)から皇典講究所教師で、共立中学でも教えていました。その後なんと1938年(昭和13年)までの40年間も校長を務めます。今では考えられないですね。
 1901年(明治34年)には東京府立第四中学校と改称し、1903年(明治36年)

(通常はこの辺りから有料)

府立第四1

に牛込区市ヶ谷加賀町、現在の牛込第三中学校校地に移転します。その後戦時中の爆撃で校舎が全焼し、仮校舎で授業を続けますが、1949年に現在の校地に移転し、翌年都立戸山高等学校と改称しました。
 深井は1935年(昭和10年)に府立四中の補習科を分離し、近くの市谷左内町に旧制高等学校などへの入学を目指すための城北高等補習学校を設立します。これが戦後の1951年(昭和26年)から、かつての名門予備校城北予備校となります。こちらは1987年(昭和62年)に廃校となりました。深井は府立四中退任後、自身の手で新たな中学校を創立しようと考え、凸版印刷社長だった井上源之丞(いのうえ げんのじょう)の協力で、この城北高等補習学校を仮校舎として1941年(昭和16年)に城北中学を開校します。1943年に深井は亡くなりますが、同年城北中学は現在の板橋区に移転します。ここは戸山高校と同根の学校ですね。
 埼玉県川越市の城北埼玉中学・高校は城北中学・高校の校長だった近藤薫明(こんどう しげあきが1980年(昭和55年)に設立したものです。現在は特に関係がないようです。

★地図
https://goo.gl/maps/KvRShQx4duA2

府立第四2

★参考リンク
・戸山高校 http://www.toyama-h.metro.tokyo.jp/
・城北会 http://toyamaob.org/

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