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襲撃現場は郵便発祥の地近く---23区渋沢栄一ゆかりの地

NHK大河ドラマ「青天を衝け」は明治編に入り、主人公渋沢栄一の活躍の舞台も江戸改め東京に移ってきました。東京といえば23区内は私のホームグラウンド。毎回のお話と関わる場所を紹介します。

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第38回「栄一の嫡男」

最終回まであと4回。今回は明治20年代を一気に見せました。前回の最後の大きな事件は、三菱と渋沢の死闘が終わり、日本郵船が誕生したことでした。そして両者の和解を仲裁した五代の死も同じ年、1885年(明治18年)です。
 今回は久々に徳川家康(北大路欣也)が登場し、まず徳川300年祭を描きました。これは1889年8月26日のことでした。実際の歴史ではさすがにまだ明治政府を慮って「東京三百年記念祭」と称したようです。しかしこの8月26日というのは旧暦で徳川家康が江戸に入った8月1日(八朔)にあたり、その日を祝うのは実質的な徳川の復権を仄めかすものでした。当日は「東京万歳」という掛け声とともにドラマで描かれたように「徳川万歳」を叫ぶものも多数いたようです。ちなみにこの「万歳」は同じ年の2月にあった憲法制定に際し考案された新しい習慣で、できたてホヤホヤのパフォーマンスでした。
 ドラマではホテルの宴会場のような場所で、徳川旧臣だけが集まって開いたように見えましたが、実際は上野の不忍池周辺に大規模な仮設宴会場を設け、皇族はじめ政府の重鎮も参加して祝われました。開催委員会の委員長は旧幕臣の中でも特に新政府で活躍した榎本武揚。ドラマでは登場していませんが。また勝海舟の姿もこのドラマにはありませんね。実際の祝典にも出ていないようです。
 ドラマで旧臣として出ていたのは徳川昭武永井尚志福地源一郎栗本鋤雲向山一履山高信離川村恵十郎猪飼勝三郎前島密らですね。イケメン志尊淳が演じていた杉浦譲の姿が見えませんが、杉浦ははるか以前、1877年(明治10年)に結核で亡くなっています。ドラマでは描かれませんでした。

そしてこの間の栄一の起業がドドッと紹介されました。ドラマとは違うかもしれませんがこの間の起業は、大阪紡績(現・東洋紡)、日本鉄道(現JR)、日本郵船、東京ガス、東京電燈(現・東京電力)、日本煉瓦(清算)、帝国ホテルなどです。

そして嫡男・篤二の問題が描かれます。篤二は一高の試験に落ち、仕方なく熊本で勉強することになりますが、1892年(明治25年)に退学となって栄一の故郷・血洗島で謹慎します。表向きは病による退学ですが、実際はドラマで描かれたように女性問題だったようです。まあ父の栄一も女性関係では偉そうなことは言えません。血筋でしょうか。

相前後して慶喜の妻・美賀君の発病・療養・そして死が描かれますが、高松凌雲の勧めで行った、東京の徳川宗家、家達邸で1894年(明治27年)に亡くなりました。
 さて、その家達邸はどこにあったのでしょうか?

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