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「銀行発祥の地」

渋沢栄一、実業界進出の契機となった日本初の銀行

★ジャンル【産業】
★場所 中央区日本橋兜町4-3
★最寄駅 東京メトロ茅場町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「この地は明治6年6月11日(1873年)わが国最初の銀行である第一国立銀行が創立されたところであります」

★解説
 兜町の中心、東京証券取引所のすぐ南西にあり、今はみずほ銀行兜町支店となっています。「郵便発祥の地」の日本橋郵便局からは首都高をくぐってすぐです。碑文の書かれた小さなプレートは支店入り口の脇に嵌め込んでありますが、詳細な解説板が支店西側の壁にいくつも掲げてあって勉強になります。
 誤解されやすいのですが、この時の「国立銀行」とはアメリカの「national bank」の直訳で、「国法によって立てられた銀行」という意味。現在は国法銀行と訳すことが多く、国営の銀行ではなく民間資本の銀行です。各銀行ごとに独自の紙幣発行が認められ、その代わりに金との交換義務がありました。
 この1873年には第一、第二(横浜)、第四(新潟)、第五(大坂)の4行が設立されています。第三銀行は大坂で開業予定でしたが内紛でこの時には開業できず、「富士銀行創業の地」で書いた安田善次郎(やすだ ぜんじろう)に営業権が譲渡されます。ちなみにこのうち元の数字を名乗っているのは第四銀行だけです。第二は現在の横浜銀行に連なり、第五は三井住友銀行に吸収されていきます。
 ですから正確にいうとこれらの銀行全ての創業地が銀行発祥の地となります。
 これらの銀行は大蔵少輔(次官)だった伊藤博文(いとう ひろぶみ)や渋沢栄一(しぶさわ えいいち)が中心になって作った国立銀行条例に基づいて作られました。幕末から以降、日本の貨幣制度は大混乱で、諸外国の信用も失っていました。末期の幕府の金貨は含有率が極めて低く、また薩摩など各藩がニセ金を大量に発行していました。新政府は太政官札などの金と交換できない紙幣を発行しますが失敗。大隈重信(おおくま しげのぶ)の主導で、金などとの交換を前提とした新しい通貨、「円」を発行する新貨条例の実行で一応の安定を見ますが、金の準備が足りず不安定でした。
 政府は民間の銀行に金兌換券を発行させ、民間の力でこの状況を打開しよ

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