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浅草「酉の市」発祥の地

「発祥」争う寺と神社、両方とも?

★ジャンル【文化】
★場所 鷲神社 台東区千束3-18-7、長國寺 3-19-6
★最寄駅 東京メトロ日比谷線三ノ輪駅、入谷駅、つくばエクスプレス浅草駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
台東区の掲示
鷲(おおとり)神社
「鷲神社は、江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。祭神は天日鷲命・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば、天日鷲命の祠に、日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が十一月酉の日で、以後、この日をお祭りと定めたという。酉の市は、江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を「大鳥」、浅草を「新鳥」と称した。浅草は特浅草観音・新吉原・猿若町芝居小屋を控え、賑わいを見せた。一の酉、二の酉、年によって三の酉とあり、世俗に三の酉があると火事が多いと言われる。酉の市は、当初、農産物や農具の一種として実用的な熊手を売る市であった。その後、熊手は幸運や財産を「かきこむ」と言われ、縁起物として商売繁盛海運の御守として尊ばれてきた。また、八ツ頭は、人の頭になる、子宝に恵まれるといわれる」

鷲神社の表示
浅草「酉の祭」「酉の市」起源発祥の神社
「鷲神社は江戸時代以前より此の地にまつられ、江戸時代は鷲大明神社と号し、福運を招き、強運にあずかる守り神として鷲大明神がまつられ、大明神と伝われるとおり神様をおまつりしてあります。鷲大明神は天日鷲命と申され、開運・商賣繁昌にあらたかな神として古くから崇敬されております。その発祥は景行天皇の御代、日本武尊が東夷征討の時、鷲大明神社(鳥の社)に立ち寄られ、戦勝を祈願し、志をとげての帰途社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月の酉の日であったので、この日を鷲神社の例祭日と定めたのが「酉の祭まち」則ち「酉の市」の起源・発祥です。その后、日本武尊が併せまつられ、浅草「酉の祭」「酉の市」は次第に賑わいを増し、酉の市に商われる縁起熊手も年毎に人気となり、江戸の庶民の春(正月)をむかえる行事として益々盛大に華やかさを加えたのです。特に吉原遊廓の隆盛と共に賑わい「吉原のおとりさま」とも云われました。江戸時代からまつられている「鷲大明神」天日鷲命は、鷲の背に乗るお姿から「鷲大明神・おとりさま」といわれ、江戸の数々の火事、関東大震災、第二次大戦の戦禍にもお守りされ、三百年以上にわたり鷲神社に安置されております。天日鷲命は、「東都歳時記」に“開運の守護神なり”とあり、日本武尊と共に福運・強運・商売繁昌・武運を司どる神様として厚く信仰されております」

長國寺の表示
浅草「酉の市」発祥の寺
「当山は江戸時代、寛永7年(1680)に日乾上人によって開山されました。山号を鷲在山、寺号を長國寺と称し、法華宗(本門流)の寺です。宗祖を日蓮大聖人として開運招福の守り本尊である鷲妙見大菩薩が安置されています。開山当時より、鷲妙見大菩薩の御開帳が11月酉の日に行われ、多くの参詣者を集めて門前に市が立つようになりました。それが浅草「酉の市」の発祥です。長国寺の門前市であった浅草「酉の市」は、吉原などの隆盛とともに賑わいを増し、市で売られる縁起熊手等も持て囃され、江戸庶民にとっては年を迎えるための欠かせない行事となりました。鷲妙見大菩薩は七曜の冠を戴き宝剣をかざして鷲の背に立つお姿から、「鷲大明神」「おとりさま」と呼び親しまれました。また「絵本江戸土産」では「破軍星(はぐんせい)」ともいわれ、開運招福・商売繁昌・武運長久の御利益を授ける尊仏として厚い信仰を集めてきました。1年の無事に感謝と、来る年の幸いを願う「酉の市」は江戸時代から続く伝統と文化を今も変わらずに受け継いでいます。当山、長国寺では明治初年の神仏分離令で「酉の寺」長国寺の一部が新たに鷲神社として分割されましたが、現在も11月酉の日には多くの善男善女を集めて、鷲妙見大菩薩の御開帳の法要を行い「酉の市」を開いております」

★解説
 鷲神社の場所は言うまでもないと思いますが、まあ駅から遠いです。
 やたら碑文が長いのは、公平を記すために3つの掲示を並べたからです。台東区のものが一番正確で、鷲神社のものは誤解の元でやや無理があります。長國寺のものもちょっと苦しいです。
 商売繁盛のお祭りというと関西では「えべっさん」、十日戎で、関東では「酉の市」ですね。最初に書いておきますが、関東の「酉の市」の発祥の地は足立区の花畑大鷲神社です。浅草ではありません。鷲神社、長國寺の表示とも、表題は「浅草『酉の市』」の発祥となっています。またどちらの文章も、よーく読むと「浅草が酉の市の発祥」とはどこにも書いていません。しかし逆に言うと、よーく読まないと浅草が「酉の市」発祥のように読めてしまうところがミソです(笑)。
 この点、歯切れが悪いのは台東区の掲示も同じです。「足立区花畑を『大鳥』、浅草を『新鳥』」と書くことで、なんとなく「浅草は発祥じゃないよ〜」というニュアンスを出しています。まあ掲示させてもらってるので、あまり神社の主張を否定できない大人の事情はわかります。
 鷲(わし、とり、おおとり)神社は関東でもかつての古利根川流域に多い神社で本社は埼玉県の鷲宮神社です。足立区花畑の大鷲神社はその流れの分社と思われますが、江戸時代以前の結構古くからある神社で、源義光などの伝説があります。
 この花畑の大鳥神社は綾瀬川沿いの交通の要衝にあり、江戸時代は豊かな農村でした。そこで古くから行われていた「酉の祭」の際に市が立ち、それが「酉の市」の発祥です。農閑期に行われる農村の祭りですから、台東区の

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