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「林業研究発祥の地」

国有林活用研究の中心地は公園に

★ジャンル【産業】 
★場所 品川区小山台2-7
★最寄駅 東急目黒線不動前駅もしくは武蔵小山駅

★碑文
「顧みれば 明治十一年 東京府下西ヶ原で開始された樹木試験場の事業をうけて 明治三十三年 この地に農商務省目黒試験苗圃が設定され 明治三十八年(一九〇五)十一月一日 山林局林業試験所が発祥した 以来 昭和五十三年三月 農林省林野庁林業試験場として筑波研究学園都市へ移転するまで日本の森林 林業 林産業の研究の中心として輝かしい業績をあげてきた この間 数多くの国内外の研究者が 学術交流 研鑽のために この地を訪れ「林業試験場」の名は世界に広く知れわたった 林業試験場は 現在筑波の地において森林総合研究所として発展を続けている この度 跡地に『林試の森公園』が建設されるにあたり 林業試験場の栄光をたたえ 関係者多数のご賛同を得て 記念碑を建立する」

★解説
 実を言うとこの碑のある場所は目黒区です。碑のある「林試の森公園」の中を目黒区と品川区の境界が通っており、碑は目黒区側にあるのです。しかし公園の所在地は品川区なので、ここでは品川区の発祥地として紹介します。
 碑は公園内の東側、芝生広場の脇にあります。公園のシンボルツリー「おおきなクスノキ」の近くで、公園中心を貫く遊歩道沿いですのですぐわかると思います。
 しかしこの碑文、日本語には句読点というものがあるのに全く使っていません。その代わりに不自然なスペースがあります。こういうのは何百年と残るものですから、考えてほしいですねえ。
 日本の森林は江戸時代に乱伐が進み、人里に近い山はほとんどハゲ山状態だったといいます。明治政府は幕府の直轄林や各藩の所有林を引き継ぎ、官林として運営に当たることになりましたが、皇室林や北海道の山林はこの官林から分離され、別経営とされました。また山林の所有権・境界確定などに追われ、その利用はなかなか進みませんでした。
 ようやく1905年になって、ここに林業試験場が設けられ、その活用が本格化します。ただ当時は海外の有用樹の導入なども大きな役割の一つで、園内にもその頃植えられた外来の巨樹が数多くあります。
 戦後になって皇室林などは廃止され、ようやく全国の国有林がほぼ統一して経営されるようになります。しかし時代はすでに輸入材中心の時代に移っていました。
 1978年には試験場はつくば市に移転し、その後1989年に都立公園として開放されました。面積は12ヘクタールあります。

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