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「東京経済大学発祥の地」

大倉喜八郎、還暦の記念に設立

★ジャンル【学校】
★場所 港区虎ノ門2−10−1
★最寄駅 東京メトロ虎ノ門ヒルズ駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1900年 この地に大倉商業学校開校
 1920年 大倉高等商業学校となる
 1945年 戦災により校舎焼失
 1946年 国分寺市(当寺国分寺町)へ移転
 1949年 東京経済大学となる」

★解説
 ホテルオークラ東京隣りの虎ノ門ツインビル(旧新日鉱ビル)の角にあります。このビルの敷地に大倉商業学校はありました。
 大倉商業学校は、明治期に活躍した大実業家大倉喜八郎(おおくら きはちろう)が創設者です。喜八郎は新潟県新発田市出身で幕末期の江戸に出て丁稚奉公から身を起こし、戊辰戦争時には官軍に鉄砲を売ったり、輸送を担当したりして巨万の富を得ます。
 その後新橋駅建設、横浜水道建設、鹿鳴館建設などを手掛け、大阪紡績、東京電燈などの殖産興業事業に参入します。帝国ホテル、東京ガス、大倉土木(現在の大成建設)、大日本麦酒(アサヒ、サッポロの前身)など現代に連なる多くの企業を起こし、大蔵財閥を形成しました。
 大倉は川越藩松平家上屋敷だった現在のホテルオークラ敷地に邸宅を構えていましたが、1900年(明治33年)、自身の還暦と銀婚式の祝賀記念事業としてこの敷地の一部を使って大倉商業学校を造ります。
 これは当時、諸外国との不平等条約改正に伴い外国人の国内居住や営業が自由化されることが見込まれ、「わが国の商業者の知識は昔と変わらない。このままで進むと対等条約と内地雑居の実施の結果、わが国の商業界は外国人に独占されることになろう。自分が外国に支店を設けて有為の青年を派遣してきたのは外国人に対抗するためである」との趣旨で設置したものでした。
 創設メンバーには陸軍軍医総監だった石黒忠悳(いしぐろ ただのり)、初の東大総長だった渡邊洪基(わたなべ ひろもと)、渋沢栄一(しぶさ


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