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「碑小学校創立之地」

謎の碑から校名を受け継いだ碑(いしぶみ)小学校

★ジャンル【学校】 
★場所 目黒区碑文谷3-7-3
★最寄駅 東急東横線都立大学駅

★碑文
「明治十二年一月二十日 此の地に創立さる」

★解説
 都立大学駅からは歩いて15分ほどかかります。駅から環七を越えた向こう側に「すずめのお宿緑地公園」というかわいい名前の公園があるのですが、その裏手に碑文谷八幡宮という神社があります。その表参道の途中、右側に建っています。 「碑文谷」(ひもんや)は東京以外の人たちには難読地名でしょうか。この神社の名だったのですが、それが村の名になり、今も地名になっています。ではこの碑文谷とは何かというと、神社の本殿右手脇にある碑文石が由来です。頑丈な柵で囲われていますのですぐわかります。
 この石はいつ誰が作ったのかは不明ですが、室町時代の作と思われ、近くの呑川の河床に露出する砂岩を使っています。柔らかい石なので江戸時代以降はあまり使わない石です。その石に仏を表す梵字が彫ってあり、何かの供養目的の碑と思われます。
 この碑文を彫った石がある谷なので、周囲が「碑文谷」という地名になったと言われています(異説あり)。石は埋まっていたのを掘り起こして神社に置いた、とも言います。
 そうした面白い由来のある神社境内にあり、また開校した1879年当時の所在地の村名が碑文谷村だったので、冒頭の一文字を取って「碑小学校」が誕生しました。今聞いてもなかなか洒落た名前です。1892年には少し離れた現在地に移転し、以後動いていません。
 現在の校地は円融寺というお寺に隣接しているのですが、この寺には室町

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