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「歯科医学教育発祥之地」(東京歯科大学発祥の地)

日本最古の歯科大学

★ジャンル【学校】
★場所 港区三田4−18−2
★最寄駅 都営地下鉄浅草線泉岳寺駅、東京メトロ南北線白金高輪駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「高山紀斎は米国留学で得た理想を基にここ東京芝区伊皿子町七〇番地に明治二十三(一八九〇)年一月、わが国最初の歯科医学校として高山歯科医学院を設立した。この学院には、後の世界的細菌学者野口英世も教壇に立っている。その後、血脇守之助がこれを継承し、東京歯科医学院、東京歯科医学専門学校、東京歯科大学として現在に至っている。この地に端を発した近代歯科医学教育の精神は高山歯科医学院開設以来百有余年、脈々と今に引き継がれている」

★解説
 泉岳寺駅と白金高輪駅を結ぶ伊皿子坂上の交差点、高級マンション敷地外の角にあります。戦前からある有名な大学の創立地としては、異例に郊外にあります。明治の頃は高輪はまだまだ郊外です。
 千代田区の「日本歯科大学発祥の地」でも書きましたが、日本で最も歴史の古い歯科専門の大学はこの「東京歯科大学」です。
 創立者の高山紀斎(たかやま きさい)は岡山藩の武士で戊辰戦争にも従軍しますが、明治になって渡米、歯科医師の技術を学びます。1878年(明治11年)に帰国すると銀座に歯科診療所を開院しました。日本で最初の歯科医師は、この高山に先んずること4年前に、小幡英之助(おばた えいのすけ)という人がやはり銀座の5丁目(木挽町あたり)に開業しています。
 高山はこの小幡らと協力し、1893年(明治26年)には大日本歯科医会(現在の日本歯科医師会)も設立し、その初代会長になります。
 学校経営からは1899年(明治32年)に身を引き、以降臨床一筋となります。どうも高山には経営手腕がなく、ほとんど廃校寸前だったようです。
 学校経営は高山歯科医学院に入学した弟子の血脇守之助(ちわき もりの

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