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「喜多見小学校発祥之地」(砧小学校創立の地)

実は砧小学校創立地の一つ

★ジャンル【学校】
★場所 世田谷区喜多見4-13-9
★最寄駅 小田急線喜多見駅

★碑文
特になし。碑面の別面に「祷善寺跡」

★解説
 最寄鉄道駅は喜多見駅ですが、15分以上かかります。大きな道路もなく非常にわかりにくく行きにくいです。喜多見氷川神社慶元寺の間の道の北側にある喜多見中部町会集会所の前にあり、そばにイチョウの大木がありますのでそれを目印にしてください。
 ()書きしてありますように、この場所は現在の砧小学校の創立地です。現在、砧小学校とは別に喜多見小学校がありますが、この喜多見小学校は1972年に砧小学校から分離してできた学校です。ところが、その砧小学校は1902年に旧喜多見小学校と朝陽小学校が合併してできた学校なのです。間に70年間もの砧小学校時代を挟んでおり、新旧の喜多見小学校を同じものと見ることはできないでしょう。そしてこの碑の場所は旧喜多見小学校の創立地です。
 合併以前はどうかというと、旧喜多見小学校は1873年に研精学舎としてこの地にあった祷善寺内に創設されました。同じ時期に周辺で日新学舎、開蒙学舎という学校もできました。1877年に研精学舎は喜多見小学校と改名し、日新学舎と開蒙学舎は合併し朝陽小学校となります。この二つの学校が1902年に合併したわけです。
 祷善寺は江戸時代までは喜多見氷川神社を管理する別当寺でしたが、明治に入って神仏分離令とともに廃寺になったと言われます。寺は氷川神社の北側にあり、かつての石像仏などがまだ残っています。祷善寺の供養などは子院であった近くの知行院に移されているようです。知行院では研精学舎が置かれたのは知行院である、としています。

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