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「浅草凌雲閣記念碑」(エレベーター発祥の地)

やっと最近わかった凌雲閣の場所

★ジャンル【産業】 
★場所 台東区浅草2-14-5
★最寄駅 つくばエクスプレス浅草駅

2021.5.9 パチンコ店閉店後の最新の写真に差し替え、遺構発見地のビルの壁面写真を追加しました。

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「1890年(明治23年)11月27日。この地、台東区浅草二丁目14番5号辺りに浅草凌雲閣(通称十二階)が完成。設計は東京の上水道設計者でもある英国人ウィリアム・K・バルトンが担当。当時としては超高層の八角形12階の建物で、1階から10階までが煉瓦階、11・12階が木造で、屋根には風見の付いた避雷針がのり、8階までは日本最初の電動エレベーターを設置、各階には凡そ50の店が軒をつらねた。最上階の12階には30倍の望遠鏡が設置され、隅田の流れからお台場を映し品川沖の海、遠くは筑波、秩父の山々が望めたとされる。観覧料は大人8銭(現在の約700円)子供4銭であったが高所から東京を一望しようという人が押し寄せ、東京随一の観光名所となった。開業から33年の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で破壊され、その幕を閉じた。明治・大正の33年間、多くの人達にときめきと感動をあたえ、一世を風靡し浅草の振興に貢献した浅草凌雲閣、その跡地に記念碑を設立し後世に記録として残します。

★解説
 浅草6区、まもなく開業する浅草ビューホテルアネックス六区の向かいにあります。以前はパチンコ店があったビルの前ですが、閉店して空きビルになっています。
 凌雲閣は「雲を凌ぐほど高い建物」という意味で、1890年の建設当時は日本で最も高い建物でした。実はその高さははっきりしないのですが、1921年の調査では52メートルとあるものの、建築時の公称は220尺(66.7メートル)で、避雷針など計測しなかった部分も含めるとこれだけあった、という説もあります。京都の東寺五重塔が54・8メートルですので、公称通りですと日本一の建築物です。
 建設の発案者は越後長岡出身の生糸商・福原庄七といい、その後凌雲閣株式会社が設立され、浅草の写真師だった江崎礼二(えざき れいじ)が社長になっています。
 この中に作られたエレベーターが日本最初の電動エレベーターで、赤色と黄色の2台が稼働していました。中には座布団を敷いた腰掛けがあり、15人から20人が乗れるという、現代でも大型の部類に入るものでした。しかし建物設計者のバルトンはエレベーターを設置するとは聞いておらず、反対したそうです。
 エレベーターの設計は「日本のエジソン」と呼ばれた藤岡市助(ふじおか いちすけ)で、藤岡はこの年に電球を製造販売する白熱舎を設立していま

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