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「工学院大学学園発祥之地」

築地地区で例外的にキリスト教系でない学校

★ジャンル【学校】
★場所 中央区築地7-2-13 あかつき公園冒険広場外
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治二十一年我国工業の黎明期に当り、此地に工手学校が創設された。爾来工業界の各分野に有能な技術者を送った数は実に三萬を超えその発展に多大の貢献を致した事は周知である 関東大震災の後昭和三年 出身者の熱意と努力により新宿に宏壮な校舎が建設され校名も工学院と改められ、時世の進運に則して終始発展充実を続けて来た。更に昭和二十四年に至り学園に工学院大学が設立され最高の工業教育機関として工業報国の伝統精神を発揚しつゝある。近く創立七十周年を迎えんとし先輩の遺徳を偲び後進の発奮を促すため有志相図り学園発祥の地に記念碑を建てる」

★解説
 あかつき公園冒険広場の築地川公園側のフェンス沿いにあります。碑文にはこのほか学園歌が記されていますが、それは割愛します。
 明治初期、富国強兵のかけ声の中で、高等教育の学校は整備されつつあって人材も育ってきていましたが、現場の工場を支える熟練工や現場監督が不足していたそうです。こうした中堅層の職工育成を目的に作られたのが工学院大学の前身である工手学校でした。
 創立には東京帝国大学初代総長の渡辺洪基(わたなべ ひろもと)らが中心となり、工手学校創立協議会を組織しました。工学院大学ではこの協議会の発足日である1887年10月31日を学園創立記念日としています。翌1888年に授業を開始し、土木、機械、電工、造家、造船、採鉱、冶金、製造舎密の8学科について、予科は半年、本科1年間学びました。
 創立の中心だった渡辺は学者ではなく官僚でした。ですから教育者としてというより、政府の意を受けてあるいは国家の行末を考えて、の創立だったでしょう。東大総長就任時は39歳。工手学校創立時は40歳という若さです。明治の発祥記事で思うのは、担い手たちが本当に若いということです。現代とは大違いですね。
 学校は順調に発展し、1896年には火災で全焼してしまいますがすぐに再建

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