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「近代映画スタジオ発祥の地」

関東大震災で消えた大ガラス建築

★ジャンル【産業】 
★場所 墨田区堤通2-19-1
★最寄駅 東武スカイツリーライン東向島駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「明治34年(1901年)フランスからシネマトグラフが輸入され、日本で映画の興行や製作が始まりました。ところが外国映画の質の高さに刺激され、本格的な劇映画の発展を目指そうと、明治44年(1911年)にエム・パテー商会 梅屋庄吉の提案で吉澤商店 河浦謙一、横田商会 横田永之助、福宝堂 田畑健造など4者の合同で日本活動写真フィルム株式会社(日活)が設立され、大正2年(1913年)10月ここ隅田川畔の杉山茂丸氏の別荘地7500m2に、向島撮影所が開設されました。川岸に広さ900m2の、天候に左右されずに撮影できる東洋一のグラスステージが建てられて、日本映画の質を飛躍的に向上させることができました。初期の作品である「カチューシャ」は大ヒットし「向島作品」の名を高めました。当時は女性の役は女形によって演じられ、カチューシャを演じた立花貞二郎や後に監督になった衣笠貞之助も女形でした。やがて女優が採用され、酒井米子が向島撮影所最初の女優となりました。ここは本格的な日本劇映画の発祥の地です。しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し、惜しくも向島撮影所は閉鎖されました。この間およそ760本の作品が作られました」

★解説
 隅田川にかかる白鬚橋の北、壁のような白鬚東アパートと隅田川の間にある桜堤中学校敷地の北西隅の柵内にあります。しかしこの碑、というか解説板、写真でわかる通り非常に見にくいです! 解説文が読めない! 上半身を左右に振りながら、怪しい人のように動かないといけません。疲れます。関係者には善処をお願いしたいです。
 さて、解説文は1901年にシネマトグラフが輸入され、と書き起こしていますが、日本での映画の歴史はもっと古いです。最初は1896年、エジソンのキネトスコープが持ち込まれて神戸で公開されました。これは1人づつしか見られないもので、現代からすると映画とは言えないかもしれません。
 スクリーンに上映する映画は、フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを使い、1897年に京都で上映されました。現地には「日本映画発祥の地」の解説板があります。シネマトグラフの発明は1895年ですから、すぐに日本にも紹介されたわけです。
 また映画興業としては同じ年に大阪・難波でやはりシネマトグラフの作品が上映され、現地には「映画興業発祥の地」のプレートがあり、今も映画館になっています。
 ですから、ここの解説板がなにをもって「1901年」と書いているのかはよくわかりません。
 日本人の手による撮影も、早くも1897年に小西本店(のちの小西六、コニ

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