「徽章業発祥の地」
日本の記念バッジは飯田橋から
★ジャンル【産業・経済】
★場所 千代田区飯田橋1-7
★最寄駅 東京メトロ、都営地下鉄九段下駅
★碑文
「この奥、大神宮通り向かって左側に明治十八年(一八八五)、鈴木梅吉により日本帝国徽章商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで、特に明治末期、大正の初期においては日本で唯一の徽章の製作工場として大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多数はこの商会の流れを汲み、徽章業は飯田町の日本徽章商会から生まれたといわれています。そして、現在もこのあたりは 徽章業に従事する人が沢山います。」
★解説
飯田橋駅と九段下駅の間、東京大神宮へ入る道の角にあります。
「徽章」は今は「記章」と書く場合が多いですね。バッジ、メダルのことです。鈴木がメダルを作ろうと思い立ったのは欧米経験者から、小学校の卒業生にメダルを贈ることを相談されたのがきっかけだそうです。外国ではそのようなことが普通に行われていたのでしょう。機会もない中、試行錯誤してメダルを造り上げます。
その後、学校など近代的社会組織が急速に増えたため、バッジやメダルの需要も広がり、事業は急速に拡大したといいます。
碑文には周辺に同業が多いとありますが、今ではあまり見かけません。その後の鈴木商会や同業者たちの行方はよくわかりません。鈴木の会社と同名の「日本徽章商会」が新宿区西落合にありますが、鈴木の会社かどうかは確認しておりません。同業者はボタンなど服飾との関連から、上野・浅草あたりにも多いようです。
徽章業を調べていて驚いたのが、「日本芸術メダル協会」という団体の存在で
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