見出し画像

「池上競馬場について」(日本人による洋式競馬発祥の地)

日本人による最初の馬券販売

★ジャンル【文化】 
★場所 大田区池上6-30-11
★最寄駅 東急池上線池上駅

★碑文
「明治39年(1906)から明治41年頃、池上村(現在の池上6〜7丁目付近)に競馬場がありました。日清・日露戦争後の当時、政府は軍馬の不足解消と資質改良を目的として海外から優秀な種馬を輸入するとともに競馬会の設立を奨励しました。そして明治39年11月24日、日本人による洋式システムの最初の競馬がこの池上競馬場から開始されたのです。しかし競馬熱が異常に高まり弊害を生じる事態になったため、明治41年政府は馬券の発売を禁止し盛況を誇った池上競馬場もわずか3年で廃絶となりました」

★解説
 池上駅前を南北に通る通りを本門寺と反対側、南に下って行きます。四つめの信号、角にコンビニがある交差点を左に曲がって少し歩くと左に徳持ポニー公園という小公園があります。その入り口脇、公園名の書かれたプレート内に解説があります。
 実際の池上競馬場はもちろん公園よりははるかに広大で、公園はコースのはずれの少し外ぐらいでした。スタンドは池上駅の南側にあり、コースは現在の徳持小学校を真ん中に大きく取り囲む感じで池上6、7、8丁目に広がっていました。
 この発祥の地もいろいろ注釈が要ります。私がつけた()内のタイトルも「競馬発祥の地」ではなく、そこに「日本人による洋式」という言葉がかぶさっています。でもこれもよくわからないですねえ。わかりやすく言うと、日本人が馬券を発行した最初の競馬場、ということになります。
 日本での最初の洋式競馬は横浜で始まり、1867年には根岸競馬場で競馬が始まっています。これは競馬が大好きだった外国人たち(特にイギリス人)の欲求を満たすためのもので、運営は外国人が始めました。
 江戸時代以来、日本の法律では賭博は禁止されていたため本来馬券は発行できませんが、このように外国人の運営だったため当初は治外法権で黙認されていました。
 そのほか馬の生産や社交のために全国各地に競馬場ができ、都内でも現在

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

851字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?