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電車で業

電車に乗るとおかしな人やおかしな場面に出くわすことが多いです。正確に言うと「多かった」ですね。類は友を呼ぶのか、それとも変な人間は変な人間、あるいは変な状況とひかれ合うのか。真相はさだかではありませんが、確かに二十代の頃は電車に乗るたびに変なことが起こっておりました。そのような業を背負っていたのでしょう。宿命と言えるのかもしれません。そう考えると最近は比較的そういったこともなくなってきたので、ようやく僕も普通の人になれたということでしょう。いやはや、ありがたい話です。
頻繁におかしな状況に巻き込まれていたのでいちいち全部は覚えておりませんが、いくつかは印象深い出来事がありました。
全部語ってしまうと明日以降の書くネタがなくなったときに「あのとき小出しにしておけば良かった……!」なんてハンカチーフを噛みながら後悔してしまうことになりかねないので、一つだけ書こうと思います。

あれは僕が二十代半ば、都内で売れないバンドマンをやっていた頃のことです。休日を散々謳歌した僕は、帰りの京王線に揺られておりました。車内はそれなりに混雑しており、ド平日だったこともあって会社から自宅へと帰る途中のサラリーマンの方々が多く見受けられます。座っている僕の目の前にも三人組のサラリーマンの方が居て、漏れ聞こえてくる会話の内容から上司二人と部下一人といった感じで、その部下の方は相当お酒を飲まされたようでした。
「大人って大変だなぁ」
なんてまるっきり他人事のように思いながら(実際他人ですし)なんとなく過ごしていたのですが、しばらくして上司の二人が
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
と部下の方に言い残して電車から降りていきました。一人残された部下の方は
「今日はごちそうさまでした!お疲れ様です!」
と頭を下げて見送っております。車内は幾分空いてきてはいましたが、座席は相変わらず埋まったままで、電車が再び走り出した後もその部下の方は僕の前でつり革に掴まって立っておりました。しばらくして、目の前に立つ部下の方が明らかにうつらうつらとしていることに気がつきました。上司といる間は気を張っていたのでしょうか。膝が何度もガクンとなり、その度にハッとした顔をして目覚めています。しかしそこは酩酊状態。再び深いまどろみに負けて夢と現の狭間を彷徨い、膝がガクンとなってハッとする。これの繰り返しでございます。座席は依然空きそうにありません。
さすがに見ていられなくなってきた僕は「次に膝がガクンとなったら席を譲ろう」と心に決めました。
その瞬間を見逃さぬよう、注意深く待ち構えておりました。
その瞬間はやってきました。
しかし今までのそれとは違い、部下の方はついに吊革から手が離れてしまいました。僕が「あっ」と思ったときには既に膝から崩れ落ちていったのです。周りも目を見張る中、崩れ落ちた彼は床に片膝を着いているにも関わらず、立ち上がるのを諦めたのかそのまま本格的に寝始めました。僕は、その体勢と状況で睡眠を選んだということに衝撃を受けました。敬礼をしたかったくらいですが、さすがにこれはあんまりです。こんな状態になってまで席に座れないなんて世も末です。しかしこれは声をかけてもいいのだろうか。ちゃんと聞こえて、ちゃんと応えられるのだろうか。そんなことを思案しながら、この期に及んでまだ次の一手を躊躇しながら僕は腕を組み、分かりやすく難しい顔をしながら悩んでおりました。四の五の考えずに声をかけるなり、無理矢理にでも立ち上がらせて座らせればいいだろう、という皆様のお気持ちはわかります。しかしながら僕も生粋のジャパニーズ。出すぎた真似をして目立つのはちょっと恥ずかしかったのです。できることなら何も言わずに席を立ち、相手も何も言わずにそこに座ってほしかった。スマートに事を進めたかった。それも今となっては叶わぬ夢です。どうしたもんか、と。そう思い悩んでおりました。

ふと違和感に気づきました。なんだろう、このなんとも言えない心地悪さは。一体何が僕をこういう気持ちにさせるのだろう。そう考えながら目の前に跪くサラリーマンの方を見ていて気づきました。
頭の中で思い描いて頂きたいのですが、そのときのサラリーマンの方の体勢としましては、右膝を床につき右手も掌を下にして床についている状態で、左膝は立てており、その立てた左膝に左腕を内側に曲げて乗せ、尚且つ頭はうなだれている状態です。

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なんか、こんな感じ。

そして、そんな彼の目の前で腕を組み、座席に鎮座する僕。


えっ、なにこの主従関係?


周りの乗客もその違和感に気づき始めたのを肌で感じました。なんということでしょう。次の駅で乗ってきた何も知らない人がこの光景を見たらどう思うでしょうか。間違いなく

「なんかものすごく忠誠を誓われてる人がいる!!」

と思われることは火を見るよりも明らかです。脳内に警鐘が鳴り響きます。このままではまずい。
何も命じていないというのに、なんだか今にも

「御意」

などと言い出しそうな部下の方、いや僕の部下ではないのだけれど。あぁもう、こうなってくると“部下の方”と呼ぶのも誤解を招きそうでワケがわからなくなってくるじゃないですか。このままではいけない。気のせいかもしれない、気のせいだと信じたいのですが、少し離れている場所に座っているギャル風の女子二人組が「ボスかwwwwwwww」と言って笑っています。僕のことじゃないと信じたいです。
緊急脱出です。もうこうなったら目の前の部下は切り捨てます。ばっきゃろぃ、そのままそこで寝てろ。八王子まで行っちゃえ!ばか!
僕は逃げるように席を立ち、本来降りる予定の駅の何個も前の駅で途中下車してしまいました。
あの悔しさ、恥ずかしさ、惨めさは忘れられません。そのときの気持ちをバネに今も創作を続けていると言えば嘘になります。



──あのときの部下よ。見ているか?この恥さらしめ。貴様には最後のチャンスをやろう。あの笑っていたギャル二人組を仕留めてこい。そうすればこの件は不問にしてやる。失敗すれば……そのときはわかっているな?必ずやその手で八つ裂きにするのだ!!行け!!

「ぎょ、御意!!」

「クックックッ……いいのですか?裕らく様。あのような者にもう一度チャンスを与えて」

「そうだぜ、裕らくのダンナ。あいつは我ら四天王の中でも最弱。いい機会じゃねぇか。俺が今から追いかけていって始末してやろう、ってか。ガハハハハ!」

「フン……くだらん……。私は付き合いきれん……」

「けっ、相変わらずノリの悪ぃ野郎だぜ。まぁいい。お前はどうだ、一つ賭けないか?あいつが任務を遂行できるかどうか」

「クックックッ……いいですね。我輩はしくじるのに100,000,000ゼニーを賭けましょう。クックックッ……裕らく様もいかがですか?」



いや、誰だよお前ら。




御後が宜しい様で。



お金は好きです。