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『日本の弓術』を読む┃古典に触れる100日

#30分読書習慣 、101日目からの100日間は、過去の著作物を読むことにしています。で、101~104日目でオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』を読みました。

30分読んだあと、「ちゃんと読んだよー」と報告するツイートを流しています。少し前から手元の DayOne にも記録を残していますが、振り返りもかねて、読み終えたら note にツイートをまとめることにしました。

オイゲン・ヘリゲルは、かつての上司に『弓と禅』(福村出版)を勧められたのがきっかけで知りました。昭和30年代に出版された本で、ものすごく読みにくかったのを覚えています。

じつは最初、この本は『弓と禅』と内容がまったく同じで、翻訳者が違うだけだと思っていたんです。

確かに、話題の中心はヘリゲル自身の修行のことだから同じではあるんですけど、『弓と禅』は修行そのものの記録、『日本の弓術』は師匠の境地に近づくまでに気づいた、日本人と西洋人のコミュニケーション文化の違いに焦点を当てているところが異なります。ひとつの出来事を2つの視点からとらえることができておもしろかったです。

「それが射ました!」の「それ」が、力や自分の意志といったものではなく、無意識の何かが働いたものなんだろうと思います。でも、読んでいたときは文字を表面的に理解しようと脳みそに力が入りすぎていたせいか、「『それ』ってなんやねん……」と途方に暮れたのを覚えています。

京極夏彦さんの『地獄の楽しみ方』に、言葉で言い表した瞬間にこぼれ落ちるものがある、といった話が出てきたのを思い出します。そのことと、本書に出てきた「言葉で説明し尽せない何か」が同じかどうかわからないけれど、言葉で説明できていない何かは絶対にあるし、予想外の反応が来ても過剰反応しない心のゆとりを持つことが大事なのだと思っています。

読んでいるときは、自己犠牲の精神を持つ日本人って、西洋の人からみたら宇宙人並みの変ないきものなんだろうなぁ、と思っていました。でも、けさふいに「神風特攻隊が生まれた背景にはこうした思想があったから、だったりして」と背筋が寒くなりました。

『弓と禅』を勧めてくれた上司が「情熱と理性とそのバランス」とよく言ってたのを思い出しました。でも、「やりすぎ」かどうかはその時点ではわからなかったりするから難しいのですが。