映画『任侠学園』を観たあとに│読んだ本
『きのう何食べた?』をきっかけに、筧史朗(シロさん)を演じた西島秀俊さんが出演された作品を観るようになりました。もちろん、西島さんがナンバー2の日村誠司役を務める映画『任侠学園』(2019年9月27日より公開)も観ています。
この映画、主人公がヤクザということもあり、最初はちょっと抵抗があったのです。でも、試写会で観せていただいたときに映像から作り手の情熱がものすごく伝わってきたこと、最初から最後までほぼ笑いっぱなしだったせいか、試写室を出た後に心が軽くなっていることに感動して、一見とっつきにくい印象があるこの作品を応援するぞ! と心に誓いまして。
そんなこんなで、会社をアレして(お察しください)帝釈天のヒット祈願イベントに行ったり、公開初日の舞台挨拶付き上映に行たり、2日続けて観に行ったりと、この映画のおかげで人生初のことをたくさんやっています。
とはいえ、Twitter でいいねやリツイートをたくさんしてたらアカウントが2週間で3回凍結されてしまい、なんとなく自粛せざるを得ない感じになっているのですけれども……。
誰かが死ぬとか、地で血を洗う抗争が続いて心臓に悪い、みたいなのはまったくないんですけど(笑いすぎることはあるけど、それで心臓に負担がかかることはたぶんない)、おそらく紹介文に「任侠」とか「ヤクザ」とか、暴力を推奨しているとみなされるキーワードが出てくるので「これはあかん」と判断されてしまうのかな、と勝手に推測しています。
でも、見た目の印象だけで判断するのはもったいないくらいとてもおもしろく、笑っているうちに心が癒されている映画なので、機会があればぜひ一度観ていただけたらと思います。
ところで、この映画に関するインタビュー記事を読んでいると、たびたび「ファンタジー」という言葉が出てくるのがずっと引っ掛かっていました。
たとえば上の記事とか。
法律は絶対守るヤクザはいないからファンタジー、なんだろうとは思うのですが、「じゃぁ、どういう人ならいるんだろう」というのがいまひとつピンとこなかったからかもしれません。
こんなことを頭の片隅に残したまま本屋さんに行ったら、ぴったりの本を見つけました。
『教養としてのヤクザ』(溝口敦、鈴木智彦著/ 小学館新書)です。
暴対法が施行されてから身動きが取りづらくなっている彼らが、それでも生きていくためにどんなことをしているのか、が対談形式で紹介されています。
この手の本を読むのは久しぶり(以前、上司の勧めで何冊か読んだことがあります)だったのですが、改めてこういう人たちって人間の欲望のかたまりだな、と感じました。自分が生きること、生きのびることに必死だし、普通の人ならここまでやらない、と思うことも、自分の身を守るためならとことんやるので。
こういう人たちの素性とか、やってることの是非はいったん脇へ置いて、何事も全力でぶつかる姿勢は学ぶべきところだ、と感じます。そして、この「何事も全力でぶつかる」というのは、映画でも描かれている重要な要素だったように思います。そこに着目すれば、本当にいい映画なんです。
ところで、映画のどこがファンタジーだったのか、ですけど。
P. 212
溝口:ヤクザが生き残る方法として、原点回帰するという可能性はあるのかもしれない。昔ならヤクザの親分が町の顔役になることはあったわけで、町の揉め事を解決したり、文句を言うヤツを黙らせたりしていたわけで、そういう生き方はありうるのかもしれない。
実はこの一文を読んだとき、「阿岐本組(映画の主人公たちがいる組)は未来の姿だったのか!」とびっくりしたんです。でも、よくよく考えたら「原点回帰する可能性はある」とは「今、こういう人はいない」ということなんですよね。だからこそ、この映画はファンタジーなんだと納得できました。
実は映画を観た後、「こういうヤクザがいてくれたらなぁ。もしかして、いるんじゃないかなぁ」なんてひそかに期待してしまったのですが、誰かに期待するんじゃなくて、自分自身が礼儀正しくするとか、他を思いやる気持ちを持つとか、周囲に気遣いできる人になったほうがいいんじゃないか、と思いました。
ただおもしろい、かっこいいだけじゃなく、自分のあり方を振り返る材料としても、とてもよい映画でした。