2丁目の神隠し

 こんなに賑やかで、孤独な場所が他にあるだろうか。
 「2丁目は1人で来るところじゃないんだよ」。そう忠告してくれる友だちがいたら。

 僕が初めて2丁目に足を踏み入れたのは、29才の時。それまでとくに焦りもなかったけど、30才を目前にして一念発起して行ってみることにした。けれど、僕には一緒に行くようなゲイ友だちはいない。地元から一人で高速バスに乗り、新宿へ出発する。
 数時間で無事に着いたが、バスタ新宿の前はとにかく人が多い。今日すれ違った人数は地元で過ごした一年分以上の人数になりそうだ、焦った頭ではそんなことを考えている。Google Mapsを頼りに、人の波に飲まれながら、一緒に歩きだす。そうすると少しずつ心が落ち着いてきた。知らない街に、これからの期待も含めてワクワクしている自分がいる。目当てのゲイバーは事前に調べてきた。Twitterでずっと片想いしている男前の店員さんが勤めている店。今日、出勤していることも把握済みだ。抜かりはない。財布にも多めに入れてきた。
 新宿駅から2丁目への近道がよくわからなくて、とにかく大通りを進む。IKEA、世界堂、セブンイレブン。「目的地です」と案内が終わる頃、街の雰囲気が少しずつ変わっていることに気付いた。もしかして、と思う男の人が増えていく。想像していたより外国の方も多い。そしてみんな楽しそうだ。
迷いながらも目的のお店に到着。心臓をバクバクさせて、やっとの思いで扉のドアに手をかけた。
 その途端、中にいた客と店員の目線がこちらに向く。
 あれ?ダメだったのか?、今日は貸し切り?。思ったほど広くない部屋に、これでもかと客が入っている、満席だ。想定外、どうしたら良いかわからなくてオロオロしてしまう、座る場所は?。なさそうだ、引き返して帰るか?。
 僕は泣きそうな顔をしていたと思う。
 その時、店の奥から、僕の推しが現れた。いつもの画像通りの笑顔で「初めて来たの?こっちおいで!」と手を取り、僕を席へ案内してくれた。心臓がさっきより早く鼓動する、ドキドキしている音がみんなに聞こえていないか心配なほどに。
 カウンターにひとつ空いていた席に座る。何を飲むか聞かれ、すぐにビールを注文した。とにかく、まずは酔っ払いたかった、緊張をほぐしたい。一気に飲み干して、周りをもう一度冷静に眺めてみる。
 一人で来ているのは僕だけのようだ。いつも通りの内輪ネタや冗談で笑いに包まれる店内。その中で一人孤独に空いたジョッキを持て余す。おかわりを頼もうにも、推しの彼はもちろん他の客からも人気で引っ張りだこだ。座る場所はあるけど、話し相手がいないので居場所がない。
 頭がまた、真っ白になる。
 あれ、ゲイバーに行けば、楽しませてくれるものだと思っていたのに、僕は一人取り残されている。ゲイだらけの場所で、地元と同じように孤独になっている。そう気付いてからは自分が恥ずかしくなって、居ても立ってもいられなかった。なんとか店員を呼び止め、会計を手早く済ませて店から出る。早く、早く出ないと。
 その時、店の客が僕のことを指差して笑っていた、嘲笑、というような笑い方。内容は聞こえなくても、なにを言っているかはわかる。
 そのまま、逃げるように店を後にし、賑やかな街を一人で歩く。せっかく来たのだから、と思うけど、さっきの場面が蘇ってきて、これ以上どこかに行く勇気は出なかった。新宿の滞在時間、およそ1時間。僕は今、地元に帰る高速バスに乗っている。「2丁目は一人で行く場所じゃないだろ」。そんな文句を言うことぐらいしかできなかった。

 千と千尋の神隠しで、ハクが千尋を案内して橋を渡せたように、2丁目にも案内役が必要なのだ。その先は、一歩間違えば恐ろしい場所になる。
 今は友だちもできて、2丁目には行きつけのゲイバーがいくつかできた。慣れれば良い、そういう問題じゃないことは自分がよくわかっている。今でも思う、2丁目は一人で行く場所じゃない。
 2丁目では孤独を癒せない。みんな孤独が嫌いだからこそ、持ち込み禁止なのだ。孤独を紛らわすための、つくられた賑やかさなんだと。


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