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認め


自分のために生きると言葉に出来るほど
私は強い人間ではない。

誰かのために生きることで、
その誰かから命を吹きかけてもらい
生かされている私にとって、
全てを自分のためだけで終わらせる世界で
生きることは難しい。

それは弱い自分が作り上げた
逃げ道なのだろうか。
何かあった時に
自分のせいであることだけにしたくない
ずるさなのだろうか。

あぁ、なんて弱く矛盾した生き物なのだろう。


ただ、弱い生き物だとしても
行動そのものは正しくありたいと
強く思う。

人は自分の弱さや負の部分を隠し、
目に見えるもので判断してしまう。
目に見えるものだけで判断すると
行動を誤ることなんて、
当然分かり切っている筈なのに。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」と星の王子さまは言うように。

他人行儀な言葉を交わし、
日本語特有のぼかす言葉に慣れるあまり、
趣のある、表面に美しく並べられた
言葉を信じて助けられる一方で、
その裏にある本質を想像する作業に
頭を悩ます。

想像は頭で考えている
ただの紛い物に過ぎないのに。
良い想像だったら心を豊かにする
素敵な道具となるから良いのだけど。

想像ではなく、心で見る(感じる)
それが正しいこととは
なんて単純で難解なのだろうか。

頭を使い表面近くを見ることに慣れすぎた
酸化した私は、
いつまでも産まれたての赤ちゃんのような
無垢な心でありたいと
無理なことを願ってしまう。


そして、いいんだと思う。
人のために生きることが
自分のためだと思えているうちは、
人のために生きても。
自分も誰かに命を吹きかけられているかもしれないのだから。


今年の終わりに、
今日の自分を残すこととした。

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