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コストと対価について

日本人は芸術にお金を払う意識が希薄と言われます。
確かに、そうなのかもしれないですね。

例えば、音楽演奏系の配信など見ていても、
投げ銭方式だと、本当に投げ銭する人は一割未満でしょうか。
よく通ってくる人でも、投げ銭となると二の足を踏む。

よく通ってるくらいだから、
その配信者の音楽が好きなはずで、そうなると応援しようと思うのが
自然な感情だと思う。

「いや、応援してるよ」「いつも来てるじゃない」と言うんだと思う。

このように「投げ銭する/しない」の間には、
とてつもない壁が存在する。

配信する方も、相当なコストをかけている。
(時間だったり、機材だったり、楽器だったり。)

つまり、
物的コストだけでなく、時間コストもかけて、配信している。
(練習するのだって、時間コストですしね)

「応援している」というだけで投げ銭しない人は、
結局のところ、
無償で済ませることをいいことに、
その配信者から搾取しているだけ。

(つまり応援と言いながら、行動はまったく逆。)

むろん、本当に配信で表現が好きで、
無償でいいという方もいると思う。

でも、その方が投入した莫大なコストに報いるには、
(報いるのが正しいか、どうかはさておき・・・)
やはり対価を払ったほうが、
双方気持ちいいのではないだろうか、
と思ってしまう。

「そんなこと言ったって、ぼくお金ないんです」
という意見も当然あるでしょう。

でも、みんなが「たくさん」投げ銭する必要はなくて、
それこそ100円とかそんなレベルでもいいと思うんですよ。
「みんなで支える」ってスタンスを全体で持てれば、
配信者もうれしくなるんじゃないのかなぁ。

とかく、
「お金持ちが払えばいい」
「自分、見てるだけだから、ただでいいでしょ」
と、二分されがちな感じがしますが、

みんなで配信者を中心とするコミュニティを維持していくって感じになれば素敵だと思う。

自分は楽器とか無理なので、演奏できる、そしてその腕を披露できる配信者の方は尊敬します。その尊敬とか感謝の思いを
鑑賞側として、どう表現するか、というのは重いものと思います。

やり方は、人それぞれだと思いますし、
支払いすればいいってものでもないことも、理解できます。

でも、誰も投げ銭しないことで、
表現者がその場を嫌になって、
その結果、挫折してしまうのというのは、いたたまれない。

あんまり「コスト、コスト」って言いたくないけど、
その裏で表現する方が背負ってるコストに無頓着な鑑賞者が
多すぎる気がします。

おいしいラーメン屋さんには、
ちゃんとお金を払うんですけどね・・・。