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依存症になると、身勝手な誠実で破滅する

依存症になっているときの感情について、書こうと思います。

一応、ギャンブル狂いな状況でも、家族や周囲に対して『誠実』であろうとしていました。

できていないから、「一応」です。

この『誠実』は、世間一般から言えば、カナリのズレがあります。

真に『誠実』であろうとすれば、ギャンブルを辞める、1日に何万も何十万も失う生活から抜け出すことが求められます。

でも、そんなことはしません。

自分の中にある「自分にしかわからない言い訳」を根拠に、『ギャンブルをやりたい衝動』を膨らませて、『誠実』の領域を侵食していきます。

最終的に、『ギャンブル衝動』が、自身の生活に最低限残しておく領域を侵食して、周囲からもマトモな状態に見えなくなります。

依存症になっている当時に頭にうかんでいることといえば、

「父が余命宣告うけた現実から逃げたい」
「今抱えているプロジェクトの遅延を誰にも相談できなくて辛い」
「断った案件を無償で引受ないといけない状況になった」
「悩みを相談できる人がいない」
「この程度の出費なら全然問題なし」
「クレジットカードを限度額まで使ったけど、預金は全然余裕あるからOk」「カード引き落としの額が足りないけど、勝って金を補填しておけば家族に心配はかけない」

そういった考えでした。それを客観的にツッコミしている自分もいます。

〇父の余命→人は、いつか死ぬ

〇仕事の問題→無駄に高いプライドのせいで、周囲に相談や上司に泣きつくといった対応ができないだけ

〇人間関係→そもそも10代の時点で対人関係が構築できなくなってるし、他人に気をつかうことより一人でいる自由を選んできたんじゃないのか

〇お金・クレジットカードの問題→自己管理をドンドン甘くしているだけじゃないか


そういった、自分自身からのツッコミに対して「うるっっっっっっさい、わ!!!」と、キレてギャンブルしていました。


そして、ギャンブルの負けに対して

「ここまで増やした勝ち分を全部失った!同じ金額かそれ以上の額を取り返したい!」
「この前は、同じ方法で大勝したのに、なんで今日は大負けなんだよ!」とイライラしていました。


オンラインカジノは、ネットにつながればいつでもギャンブルできるため、仕事中の職場のPC、自宅ではスマホとPC、帰宅途中に寄ったコンビニのwifiを使って、目の前の課題に目を向けずギャンブルする日常。

少しでも守ろうと考えていた『誠実』とは、いったい?

結局、行きついたのは、仕事も日常生活も「失敗がバレなければOK」という、クズの結論でした。

そして、最終的に、破綻


依存症や対人関係に問題が起きやすい人について、よっぽどの重症でもない限り、周囲からは「根はいい人」という評価されていると思います。
私もそういわれるし、「根は、優しい人」とも言われます。

あくまでも『根』は、なんですよね。


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