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アフリカに行ってないけど、導かれている話

昔から地から這い上がるような音楽、文様、図に惹かれる。
特に理由も思いつかないが、地を踏み鳴らす足や、空を仰ぐ手、もっと言うとマグマや地熱のようなものも好きだ。

大地から湧き出るような風や色

風もそよそよと頬を撫でるようなものではなく、地をかき鳴らし、砂煙を巻きたたせるような豪風に心が震えてしまう。

育ったところはそういう場所ではないし、どちらかというと緑豊かな山の中である。癒されるのは青々とした木々の中だが、揺さぶられるものは砂とか土とかだ。

音楽も柔かで繊細な音色というより、打ちならす太鼓のようなものが良い。もはや太鼓音だけでいい、と言うくらいの打音をいつも探している。

人の声も高く細く透き通るような声よりも、野太く荒々しく、祈るような地から響く声が好きだ。
しかし決して地に入り込む方向には進まず、地から空へと向かうような音に魅了される。

音だけでなく、色や匂いもそんな情景を思い起こさせるようなものに向いてまう。

南房総 tasukake 展示された紙舗 直の作品
イメージがピッタリだった

「シアスターゲイツ展」で触れたアフロ民藝

9/1まで森アーツ美術館で開催されている「シアスターゲイツ展」。
圧倒される空気感と、暮らしの中から生まれてくる民藝という思考をたっぷりと感じることができる。
空間、映像、色と音は大地そのもの。

特に好きだった作品

アフリカ系アメリカ人の彼が愛知県常滑市の陶芸とJOINTした、というのはとても不思議な経緯だと思う。
日本の民藝と融合されたアフロアートというユニークなカテゴリーなのに、どこかホッとするような包まれ感がある。やはり私は日本人なのだ。

こんなBAR。あったら本当に行きたい
徳利のボトルキープ

昔、ある仕事で少しアフリカのマリ共和国とのご縁があった。国はおろか、アフリカ自体にさえ行ったこともない。なのにどうしても惹かれるアフリカという土地やまだまだ知らない部族の文化や暮らし。

単一民族として日本という小さい島に暮らしてきた私には到底知ることのできない思考や祈りがあるのだろう。

しかしそれが日本の伝統に融合した時、見事にしっくりとくる。全く違和感がない。

ショップで見つけたこの布だが、どこからどうみても敷物。しかし手に取った時、躊躇なく体に巻きつける。踏みたいというより、大地を纏ってみたいのだ。きっと秋には私はそれを巻いて出かけると思う。

マリ共和国のテキスタイルの特徴
昔、黒い色は土で彩色された

大体こういうものはデザインはアフリカでも、Made in Chinaだったりする事が多いのだけど、帰宅してタグを見てみたら、Made in Mali。

この布はアフリカのど真ん中のあのマリで紡ぎ、染められていた。

「和フリカ-第三の美意識を求めて」

最終日まであと1日、というところで気づいた展示会。スケジュールは詰まっていたが、丸紅ギャラリーで開催されたこの展示に「1時間で行って帰宅するぞ」くらいの勢いで出かけていった。

「ブラッド・シスターズ」という作品。
少し縄文っぽい


展示数はそれほど多くなかったが相当面白い展示物で、セルジュ・ムアングという人の日本初個展だった。アフリカと日本文化を融合し表現しているアーティストで、Wafricaとした作品群はアフリカでもあり日本でもある。

壁にかかっているいくつものマスクの中で真っ先に惹かれた真っ黒な仮面はやはりマリ。おそらくあれは大好きなドゴン族の面と思われる。

こちらはマリのバンバラ・マンデ族のエッセンスが

セヴン・シスターズ(七人姉妹)

そして何より圧巻だったのは、「セヴン・シスターズ」という展示。

ご覧の通り、すごい展示作品で、椿油が塗られた面は日本のもので、テキスタイルは一瞬日本の藍染め?と思ったが、彼の出身地であるカメルーンのバミレケ族の王族が羽織る布である。

ワイヤーアートに面と布
後からが最高に魅惑的


この「七人姉妹」を見た瞬間、「イヴの7人の娘たち」という本を思い出した。


ブライアン・サイクスという人の著書で、6億人の欧米人は7人の女性から派生していったもの、というミトコンドリアDNAについての本である。これはそう、ミトコンドリアだのホモサピエンスだのという本であって、土器だ用具だという文化的な話ではないから余計にリアル。

だとしたら、と行き着く先はやはり一つで、元々同じお母さんから生まれてきた私たち。なぜ世界上の人が仲良く暮らせないんだ?という絵本のような想いしか私には浮かんでこないんだけど。

皇居前のビジネスの中心地、丸紅ビルの中にいたなんとも奇妙で怪しくて、でも優しさや暖かさを感じてしまう行列なのだ。
まさに私はここから生まれてきたのだ!と思う展示。貴方たちが私の大元ですかー?!ととても嬉しくなってしまう。

ヒソヒソと囁きながら列が向かう先はどこですか?
私もバミレケ族の布を羽織ってここに紛れたい。
並びたい。

この辺に入れてもらえないだろうか

芹沢銈介工芸館のアフリカ

ずっと行きたかった、あの芹沢銈介の工芸館がリニューアルされて公開になったと聞き、いてもたってもいられずに息子にも会いがてら、北は仙台に向かう。いや、こちらが先か息子が先か・・・どっちだっただろう。

人間国宝の芹沢銈介の作品は東京でも見られる。日本民藝館に行っても良いし、美術展での展示も多い。古書での取り扱いも多いので神保町にでもいけば必ず見つかるし、私は芹沢銈介の蔵書票を集めてもいる。

5階ロビーから6階へと続く

しかしこの工芸館はもっと深い。東北福祉大学の校内にあるため、入館するには大学の入校証が必要になる。
なぜここにあるかというと、東北福祉大学の元学長(芹沢長介氏)がご長男だったからだ。
しかもロゴデザインはあの柚木沙弥郎さんというからたまらない。

芹沢さんご本人の作品はもちろんのこと、何より彼のコレクションがすごい。きっと世界中のものを集めてその中に佇むことで、創作のエネルギーや気配を感じてそれを日本の作品として作り続けた人なのだ。

「美(パワー)をまとう アフリカの衣装」展

仙台駅から仙山線で15分ほどに
アフリカ

6/14まで開催されている期間展が「美(パワー)をまとう アフリカの衣装」。リニューアル後でもあったし、このタイトルからしてどうしても行かねばならない!と思ってしまった。

国見キャンパス2号館が工芸館となっていて、5階でコレクション展、6階に芹沢さんの作品が展示されている。
感想としては私にはどこまでがアフリカで、どこからが日本だったのか分からなかった。そのくらい芹沢さんの作品には世界中の創作物のエッセンスが入り込んでいて、エネルギッシュで見ているこちらにものすごい力がグイグイと伝わってくるのだ。

展示されていたカメルーンの帽子
コレクション図録より
コレクション図録の表紙は
西アフリカ・ブルキナファソのボボ族の仮面

今回の展示はアフリカコレクションだったが、芹沢銈介が集めた世界のものはヨーロッパ〜中東〜アジア〜南米まで本当に世界中のもの。それも人々が暮らしの中で伝統を重んじ、生きるために使ったものばかり。

私は戦争も知らない世代だから、生きるための道具なんて意識もしたことはなく、隣の席のマミちゃんが持っている2段筆箱が欲しいとか、昼にマックに抜け出すからお弁当箱なんて邪魔になるからいらないよ、とか、大事にした道具なんてそもそも思い浮かばない。

撮影不可だったため写真はないのだけれど、アフリカの様々な国のそれぞれの部族で伝わってきた貴重な品物が展示されており、晩年にご本人がそれらの布や帽子を着ている写真もあった。
もっとも芹沢銈介が初めてヨーロッパに渡ったのは70歳を過ぎてかららしい。
そのお年を過ぎても尚、クリエイティブでいらしたという事実。

柳宗悦と共に一緒に民藝活動をされてきた芹沢銈介。そのお仲間の河井寛次郎の言葉がある。

「まだ見ぬ私が見たいから」

きっと芹沢さんもまだ見ぬ自分を、まだ見ぬ世界の端に置き、きっとまだ見ぬ創作を手で作り上げていこう、と考えたのだと思う。

AIにはできない、”まだ見ぬもの”

AIの登場で世の中は時短になった。今年発表されるiPhoneにはAIが搭載されてますます世界は変わっていくだろう。
もはや知識やデータは不要とも言える時代に突入し、新しい時代に入ったのだと思う。
嘆かわしいことだが、もはや戦争もAI。ここまでの人が手で作り上げてきた歴史は一寸の狂いもなくAIがなぞらえてくれる。

人が正確に作業する必要は、もう無い。

しかし、AIには絶対にできないもの。それは Firstなのだと思う。
”見てきたもの”はド正確にやってくれるが、その事柄がどんなに些細な事でも”まだ見ぬもの”は、絶対できない。

柳宗悦も芹沢銈介も、シアスターゲイツも、人がまだ見ぬ(まだ気づいていない)ものを形にした。日々の中で使っている用具なのだから、それは特別なものでもなく、結局は些細な事なのかもしれない。
でもそんな当たり前のことに目を向けさせた事がFirstなのだった。

ということは人そのものがFirstである事が必要になる時代に私たちは突入したという事で、それには沢山のFirstを体感するしかない。
どの部分が、どういう経緯でFirstに至ったかを細胞レベルで”感じる”しかないのだろうと思う。

そして大事なのは、Firstというだけではなくて+”素晴らしいもの”であるかどうか。

目が見えるうち、耳が聴こえるうち、その場に向かえるうちに。五感で感じられるよう、バキバキにアンテナを良くしておきたい。

人は目の前の画面の中に生きてるのではないという事を、蝶にでもなったつもりで頭の上をふわふわと飛んで自分を見ていれば、自分の周りにある大事なものに気づいて、Firstになるんではないだろうか。

私はきっとこれからも見たことのない大地や風景や人に惹かれ、暮らしに惹かれて導かれていくのだと思う。あらがわずにその方向に向かってみたらきっとまだ見ぬ自分に会えるかもしれない。


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