国民民主党 第1回憲法調査会「AIと憲法」4

質疑応答(質問6~8)です。この次から、時間の関係でまとめて質問となります。

■質疑応答

・【質問6】

まだ私もあんまり整理が頭の中でできてないんですけども、データって一般にいう時に、それが本当に完全に個人に所属するデータ、マイナンバー的なそういうデータと、後データがある種の人格みたいなものを持ってプログラムされて、それが知的財産になったりとか、いろんなそういうものがあったりするものがあると思うんですけど、主にそうやって、ちょっと人格化したようなデータが個人にコミットしてくる場合のデータと、あと権利とか人権とかいう時に、個人に所属していくデータの方が主にこれから問題になっていくと思われるし。
実際に今デジタル庁でデジタル化を進めるみたいに政府がなっているときに、あまりデジタルなデータの、今のマイナンバーの構造自体もよくわかってないような状態で、例えば文科省が学習履歴をマイナンバーにひも付けをしたいと言ってみたりとか、それってもう書き換えができないかもしれないかもしれない問題ですよね。
もうこれ完全にこれ人権の侵害しそうな件ですよね。そんなのマイナンバーに紐付けする必要なんか全くなさそうなのに、なんかそんなことを紐付けしちゃおうとか考えてしまうこと自体がちょっと問題なんじゃないかと思うんですけど。
で今のもうすでに走っているマイナンバーにしても何にしても、その機構が妥当かどうかっていうのもちょっとわからない。どういうふうになっているのか、とにかくシステムが、ちょっと問題がありそうだっていうのは、すごく硬直的で、自治体にデータを接する端末がありながらも、自治体がそのデータをデジタルに参照できないという問題があったりしましたよね、給付金の時に。
それで呆れたんですけど、私が住んでいる区なんかは、オンラインで申請できたけど結局その突合を人海戦術でしなくちゃいけなくてみたいな、何か月もかかると、そういうことがあったりして、単にデジタル庁を作れば何とかなるという問題でもなさそうだし、それがもう本当に憲法問題として、人権を侵害しそうなことになって走り出しているのに、それが憲法問題の遡上として今上がってないっていうのが、今これからだから上げていくということだと思うんですけど、本当にすごく危機感を覚えているんです。ちょっとすいません。

(山尾)
ありがとうございます。私たちも本当に、遅いけど遅すぎることはないと思ってこういう場をスタートさせて、それこそデータの取り扱いに対する政府への信頼がないと健全なデジタル社会そのものが生まれないということもおっしゃっていただいているのかなと思いましたけれども、山本先生コメントあればお願いします。

(山本)
ありがとうございます。私自身はマイナンバー制度あるいはマイナンバーカードの利用についても反対というわけではないんです。やっぱりその何かこう、漠然と政府がデータを持つということに対することに対してそれを悪だというような考え方ではなくて、やっぱりもう少しきめの細かい議論が今後は必要になってくるだろうと、まずは思っています。
先ほどのお話の中で2つ申し上げたいことがあって、一つはデータの種類のお話をされていたというふうに、私は伺っていました。
おっしゃるように、個人がイニシアチブを持つ情報っていうものと、その個人のデータが個人特定の個人と紐づかないようなデータ、まあ例えば匿名化されたデータですとか、そういったものがあるわけですね。あるいはそのマシンデータみたいな、機械の動きと紐付いているようなデータというのは、個人のプライバシーからかなり遠いところにあるそういうデータだろうと思います。
ですから、データの種類というものを、やっぱりそこもしっかり見分けていく、私は個人の世界と集合の世界というのを分けていて、個人の世界というのはこれは、個人いわゆる個人情報含む、個人に戻っていくデータですね。それから個人の世界のデータというのはやっぱり個人の自己決定というものが適用されるような、そういうデータの領域だろうと思います。
他方で、その匿名化されたそのデータが誰のものか分からない、非常に抽象化された統計的な匿名化されたようなデータ、集合の世界のデータというのは、自己決定の論理というのが及ぶわけではなくて、むしろセキュリティの論理が及ぶんだろうと。つまりそこは徹底的にセキュリティを重視しつつ使い倒していくというんですか、データを使い倒していく世界。実は日本の場合に行くその両者の世界の区分けというのが十分にできていなかったと。
なんでもかんでも個人情報だということで、個人の権利性を及ぼすということになると、やっぱりどうしてもデータ使えなくなってくるので、まず一回その世界を切り分けて、個人がしっかり決定権を持つ領域とそうでない領域を、まず切り分けた上で、そこの世界に混濁がないような仕組みをどうつくって、ファイアウォールをその世界と世界を跨ぐ、跨ぐじゃ逆ですね、つまりそこを切り分けるウォールというものをどういう風に作るのかというのが、今後のDXの世界の鍵だろうというふうに思っています。
もう1つはさっきの学習データに関して、前のご質問とも関連しますけれど、やっぱり若気の至りというのはあるわけですし、こういうデータというのは忘れてほしい、消したいということがある。憲法上の、さっき玉木さんがおっしゃっていただいたように、更生を妨げられない権利・利益というのが判例上認められています。
これは一種人生を新たにやり直す、再創造する自由というのが、これは憲法13条の考え方というか原理に基づいて、判例上、「ノンフィクション逆転判決」という判決ですけれども、更生を妨げられない利益というのが書いています。これは繰り返しになりますけど、人生まさにやり直すってことだろうと。
そういう意味では、学習データもまさに小さい時からですね、積み上がってきたものを司法に対して、やっぱりこれは忘れてほしい、あるいはそのデータが及ぼす影響力をもう少し下げて欲しいとか、そういうものについて、個人がそれを把握し、それについて一定の影響力を個人が持てるような仕組みというのが重要だろうというふうに思います。
ただこのあたり本当に仕組みの問題なので、そこも本当にきめ細かく議論しなきゃいけないと思うんですけれども、現状において個人が努力と言うんですかね、そういったものはきっちり反映された教育の仕組みになっているのかとか、あるいは入試の仕組みになってるのかとか、採用の仕組みになっているのか、というところで行くと、やっぱりデータは適切に取っておくということも、場合によっては、その人の努力が正当に反映されることになってくる。
そういう意味で、結局本人がどこまで関与、そのデータのストアーというか、データをストックした者に対して関与し、それについて一定の影響力を及ぼすか、ということが、むしろ鍵になる可能性もあると思います。
ですから、そういった方向でのユーザーフレンドリーというかですかね、個人フレンドリーなユーザーインターフェイスというか仕組みをですね、デザイン、どうデザインしていけるのかという観点も重要になってくるのかなというふうに思っています。

(山尾)
ありがとうございます。大事な点ですよね、ほんとに。
どうでしょう、皆さんの方から。じゃあ順番に参りますね、はいどうぞ、今手をあげて後順番に行きます。ちょっとお待ち下さい、はいどうぞ。

・【質問7】

憲法の話をした場合、法律じゃなくて憲法に書くっていう話というのが、私の理解では通常の民主的プロセスでは一回壊れてしまったらなかなか戻せないものというのは、おそらく憲法に書かなければいけないんじゃないかなというふうに思っていて、例えば表現の自由みたいなものは一般にそう言われると思うんですけれども。
例えば今回上げていただいたような、思想良心の形成過程みたいなものがコントロールされてしまうと。特定の思想に誘導されてしまうというような事っていうのは、もし1回実現されてしまうとそれを是正するのは極めて難しいということになってしまうので、どうしても憲法に書かないといけないのかなと。
あるいは選挙みたいなものが完全にコントロールされてしまうと、それ自体が民主的プロセスの革新なので、もう二度と是正できないということになってしまうのかなと思うので、法律に書けば済むものは法律に書けばいいと思うんですけど、とはいえ今のような点はどうしても憲法で書かなきゃいけないんじゃないかなと私は理解しているんですが。そのあたりについて山本先生のご意見いただけますでしょうか。

(山尾)
憲法と法律の区分けっていつもモヤモヤしますけど、どうでしょうか山本先生。

(山本)
ご質問ありがとうございます。その通りだと思います。要するに単純な多数決の世界で決めてはいけないことというのを、どういうふうに括り出して憲法の中に制度化しておくかということになると思うので、まさにそういう、その何ていうんでしょう、民主制そのものにかかわるようなものですね、多数決、単純な多数決で決めてはいけないというものについては、あるいはそれが脅かされるリスクあるものについては、憲法でしっかり普遍マークを作っていくということは重要だと思います。ですので、その点異論がないです。

(山尾)
ありがとうございます。あと手あげていただいてましたよね、はいじゃあ順番に参ります。どうぞ、そのあと斜め後ろの方に行きますね。

・【質問8】

本日はどうもありがとうございました。久々に頭を使って学んだなと思いました。
先ほど憲法の余白を埋めるという言い方を、おっしゃり方をされてまして、その余白を埋めるのが、なんというんでしょう、非常に理想的な統治者であれば理想的に埋まるというお話をされていたかと思うんですけども、ここ最近ずっと起こっている問題などを見ていますとですね、いわゆるその、余白の埋め方がそれぞれみんなてんでバラバラに都合、自分にいいように埋めているな、っていうのを一市民から見ていると感じるんですね。
何が正しいのか正しくないのかっていうことに関していうと、もちろんそれぞれのお立場の中で考えられていることがあると思うんですけれども、いわゆる憲法裁判所みたいな、そういったこの余白を一元的に埋めてもらえるような、埋めるような考え方、そういう組織っていうもの、そういうものを例えば作った方がいいんじゃないかなというふうに私は考えているんですけれども、まあ国民民主党としてはどんなふうに考えていらっしゃるのかっていうこと。
あと付け加えて言うのであれば、その何ていうんでしょう、余白を埋めるにしてもですね、当然人が介在するわけなんですが、そこにうまいこと今先生がおっしゃっていただいたようなプラットフォームを活用してですね、つなげていくことによって、ただのpast dataだけではなくて、今現在のデータ、生きたデータというものを導入していけるのかななんていう風に考えたりもしているんですけれども、そのあたりっていかがでしょうか。

(山尾)
ありがとうございます。ちょっとだけ申し上げると、今日山本先生からやっぱり、規律密度高めて、不文の部分は一定程度明確化していこうというようなお話もあったと思いますけれども、私はおっしゃるとおり、それに合わせて、じゃあその高くなった、規律密度が高くなったその法文と政府の振る舞いが合っているのか合ってないのかっていうことをやはりきちっと判断する、いわゆる憲法裁判所っていう議論はセットで必要なんじゃないのかなというふうに考えてはいます。玉木さんなんとはこの点どうですか。

(玉木)
まさにそこが非常に重要な議論で、日本の場合は違憲の判断っていうのは個別の裁判で付属的にしか判断されないので、例えば今問題になっているような日本学術会議の6名を任命しないことが、憲法に規定する学問の自由にに反するのか反しないのかというのはですね、にわかには判断が出ないので、違憲の疑いがあるんだないんだっていう延々の議論が国会で続くということになるんですけれども。
こういったものについて判断ができるような枠組みっていうのはですね、私もあってもいいのかなと思いますし、そういったことをしっかり、まさに憲法上で定めていくという議論は、しっかりとした「国民が統治をしていく」という観点からですね、非常に大事ではないのかなと。
日本の場合は非常に、司法がある種消極的にですね、なかなか行政のやることを尊重してですね、判断を下さないという、そういう慣習もあるので、そういった憲法上ないということと合わせ、様々な慣習も相まってですね、行政権の裁量だけがやたらめったら強い三権分立になっている。そこはもう少し統治の枠組みをしっかりとですね、チェックアンドバランスが働くような仕組みに変えていく必要があるのではないかなと思っています。

(山尾)
今日高井議員が来てるんですけれども、高井さんは臨時国会を政府が開かないということで、原告になって訴訟されてましたよね。これ本当だったら別に一議員が原告にならなくても、それはやっぱり違憲でしょうということで、全体の利益の中で裁判できるべきだというふうに、私なんか思って。でもそれが今できないので、今の裁判体系では。
でまあ原告になって、お金を求めないと訴訟も立てられないから、「お金のためにやってるのか」なんて謂れのないご意見も受けたと聞いてましたけど。その点当事者としてどんなことお考えになりましたか。

(高井)
今日は無所属で参加させていただいてます高井です。ありがとうございます。こういうね、国民民主党の憲法調査会に無所属でも、一般の方でも参加できるって本当に素晴らしいことだなぁと思って聴いておりました。
今の話はですね、私原告になって、憲法53条で衆参の1/4の議員が国会、臨時国会を召集すればですね、召集しなきゃいけないという規定があるにもかかわらず、ずっと開かれないといったことに対して私は裁判をしたんですけど。ただ今の制度でですね、憲法裁判所みたいのがないとですね、結局私が精神的な被害を被ったと、国会で質問ができなかったと、しかもなんか100万円、それで賠償金をみたいな具体的な金額を出さないと裁判できないと言われて、しょうがないから100万円で訴訟しているんですけど、そうすると皆さんから「お前100万円のためにやってるのか」なんて事をですね怒られたりしています。
今ですね、まだ裁判中なんですけれども、国ですね、まったくそういったことに対してはもう国はというか、裁判所もですね、もう判断できないと。統治行為論というですね、高度に政治的なことは裁判所は判断しないみたいなことになりそうなんですけれども、これではですね、憲法53条にはっきり「臨時国会を召集しなければならない」と書いてるのに、それすらですね、違憲だ合憲だっていうのが半分判断できないとすれば、もう裁判所には全く違憲審査権というのはないというように等しいことだと思いますので、そういう意味では、今のこういった裁判所が続くようであればですね、私は憲法審、憲法裁判所というのは必要だと思います。

(山尾)
ありがとうございます。せっかく当事者でやっていただいてたので、皆さんとシェアと思いました。
どうでしょう他にも手が上がってました、もし一度いったん手を上げていただいていいですか。順番に、ちょっと一問一答ではなくて、少しまとめてお伺いをしていきたいと思います。今手をあげていただいた方だいたい記憶しましたので、順番に、前のお三方から聞きましょうか。すいませんあとこちらとこちらも。

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