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妖怪


目的地に向かって歩く道中、どうしても渡りたくない橋があったとして、回り道をするか、危険を承知で川を泳げばいいのだけれど、どうも全部イヤだ、と言ってその場に座り込んでいる。

ただそれでも日が暮れていくことには焦って、泣いてみたり、地面を殴ってみたり、とにかく幼稚そのものだ。ワガママが過ぎる。

とは言っても泳げないのに川へ飛び込むほど馬鹿でもない。崩れそうに思える橋を駆け抜けてみるのか、知恵を働かせてどうにか渡る方法を模索するかしないと、このままでは埒が明かない。


人から言われた理解できない侮辱について、三日三晩どころか半年、或いは数年間その返答を考えているところがある。根に持つどころではない。

言った本人は当然忘れているだろうが、衝動で言葉を返すのは奴らと同類になると思えて、そしてその愚行に傷ついた記憶が多すぎて、どうしてもその場ですぐに言い返せない。

何を思って私にそんな言葉をかけたのか、どういう返答が一番正直かを考える。本を読んだり、映画を観たり、ふとした時に思い出しては終わった出来事に対して言葉を選び続ける。

そして相手に一番効く正義を思いついた時、昂っている自分に気が付いて反吐が出る。気色悪いのは間違いなく私の方だ。


夏は恐ろしい季節。
自然界にやる気がありすぎる。


自分が嫌いだ、という台詞を聞く度に、私はそうでもないな、と思う。なのにこうして自分の嫌なところを書き始めると止まらないあたり、ひねくれていると思う。

そもそも自分のことが好きか嫌いか、という議論に興味が無い。考え事が好きで、グリーンピースは嫌い。それぐらいはっきりしているものが好きで、原色の青は嫌い。

矛盾は嫌いになれない。有名人の伝説的な人生年表は好きになれない。普通に怖い。すげーってなる人の気が知れない。

まあ、私は妖怪だから当然である。


KuRmi

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