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霊感

私は今、おそらく、この世の淵を渡る列車に乗っている。

辺り一体の濃霧は空との区別がつかず、まるで溶け始めた空が山を伝って地表へ流れ込んできたようだ。

普段は要塞の如く沈黙を守っている山々が一斉に念仏を唱え始めたような威圧感。

人工的な灯りで辛うじて現実味が保たれている細長い見世物小屋は、まるで人とは似ても似つかぬ神々の視線の中を潜り抜けて走る。

ここに大袈裟な表現は全く無いことを強調しておきたい。深夜のテンションでもなければ奇を衒ってもいない。
畏怖という言葉の肌触りや匂いを思い知らされている。
神聖な領域に踏み込んでしまった。

三重は松阪から、和歌山の海沿いを電車で走れば夏のロマンだと、数十分前まで呑気な心構えであった。天気が晴れならあるいはそうであったと思う。

これを書いている間にもますます霧が濃くなっている。おまけに日が暮れてしまった。窓に自分が写っているのが不自然に感ぜられてきた。

波田須という駅に着くと、なにやら木魚を叩くような音が聴こえ始めた。今なら人ならざる者などが乗車してきても何も不思議に思わないだろう。

隣の車両からノロっと現れたおじさんは私と同じく景色に期待していたのか、カメラを片手に唸ったりブツブツ言っている。
ただでさえ肝が冷えているのに警戒までさせてくれるな、と正直思った。
何かあっても誰も助けてくれないどころか、外はこの世ではないのだから。

本当に恐ろしいのはそれと目が合った時ではなく、間合いを誤った時だ



ところで太宰治の「ろまん燈籠」がめっぽう面白い。十六編収録されている。
有名すぎて今更声を大にして言うのもかえって恥ずかしいが、17年前の鬱を境に好きな読書が難しくなってしまったのでどうか無知を許してほしい。

中でも「服装に就いて」の愛おしさたるや。いつの時代にもちゃんといるんですね。私はこういう人達が世の中のユーモアを守っていると信じている。
あぁよかった。
一定数の人がそういう気持ちで読んでいるはずだ。

KuRmi

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