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約3年間分の記事を見返していた

昨夜、noteに書いた自分の記事を読み返していたら、ついつい夜遅くになってしまった。
noteにはリアルの知り合いがいないため、今まで経てきたmixiやfacebook、twitterより本音に近い文章が書けるのだと思う。そのため興味深く今までを振り返ることができた。

ふりかえってみると、病気をして間もない頃は現実逃避のためか、音楽グループ、BTSについての記事を多く書いていた。今はBTSそのものから、韓国全般を好きになってきた。韓国街へ行ったり、韓国映画を観たり、ドラマ、音楽、韓国語勉強と、私の一番の趣味は「韓国探求」のようなものだ。そして、BTSがそのきっかけになったことは間違いない。

その後、だんだん病気の治療が進むにつれ、病気そのものについての本や、病気の人の書いた本を読んだりして、病気について書くことが増えた。 そのころは文体が丁寧語ではなく、語りかける感じでもなく、飾り気がない。内容にしても、独り言に近い文章なのだ。自分はもう寛解なのではないか?など、病気の受容のため自問自答したり勉強したりしている様子が伝わってくる。主治医や心理士との信頼関係ができつつあった(最初はすぐには馴染めなかった)のもこの時期であったと思う。病気の受容期であり、傷病手当をもらいながら休職していて、いろいろと考える時間を持てたこの時期を経て、結果として病気や自分についての理解が深まったように思う。

それから会社を退職し、新しい会社に入り、半年のパート勤務を経て、さらに新しい会社に契約社員として入った。そしてそのまま、約2年間勤め続けている。この時期は就職活動の悩み、進捗が中心で、中ポツのこと、作業所のこと、ハロワのことなど今まで知らなかったことが色々あったため経験値を情報として載せている感じもある。最近はもっぱらつぶやきばかりで、内容は仕事の愚痴。仕事が忙しいのもありあまり更新できていない。
資格を色々取ったりして、試験前は勉強もしていた。そういうわけでなかなか、noteのほうを書けてないわけだ。

ごくごくプライベートのことなので職場にも知らせてないが、子供と別れてはや4年が経ち、約2年前の弁護士を介してのコンタクトから、養育費を払うところまで一年、さらに特に何の進展もなく、しいていえば手紙を送ったりして反応をひたすら待った一年を経て、このたび面会交流に関する調停の申立を行うことにした。詳細は色々な懸念があり書けないのですが、今後はそちらに注力することになりそうである。またなにかあったら(良いことであってほしい)報告するかもしれないのでよろしくお願いします。

私が患っている統合失調感情障害という病気について、感じていることを記しておく。
今は自分は、寛解に近い状態だと思っている。先に病気の受容とか言っといてなんにも変わってないじゃないかと自分にツッコみたい気もするが、2年間、平日は毎日、近くない職場に電車に乗って行って、頼まれてもいないのに二駅分歩き、オフィスでは普通に働けている(能力の程度は不明)。通院や用事以外ではほとんど休まない。この状態のどこが病気でしょうか?と思う。この病気は双極性障害的な浮き沈み通常モード→ひどい躁状態→不眠→妄想パッカーン!!状態→鬱状態→浮き沈み通常モード→(繰り返し)という経過をたどるのですが、今はどれにも当てはまらず、「まっさら」な状態。躁状態でも鬱状態でもなく、自分ではなにもないと思っている。薬は再発防止のためしかたなく飲んでるけれど。
私の感じている統合失調感情障害は、なにもない(健康)→再発→鬱期→なにもない→再発→鬱期→なにもないという経過をたどる。そうでないと、一回目の発病から再発までの11年間の薬を飲んでない元気な期間(就活、仕事、結婚、出産)の説明がつかない。そして今も、寛解というかなんというか、「再発」の可能性のある、なにもない状態だと思っている。"普通"の時期。だってだれでも病気が「発症」する可能性はあるから。
そのあたりが心理士さんと認識がずれてるけど、私の言ってることが間違ってるんだろう、だって向こうは専門家だからという気持ちでもって、向こうに合わせている。というか、もはや病気がどうとか寛解がどうとかそういう話はしてない。

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