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君も正しい。俺も正しい。

ある日の朝
朝ドラ『虎に翼』を観ていて
大きく頷いた。

君も正しい。
俺も正しい。
喧嘩ほど無駄な時間はない。
わかり合えない時は諦めることだ。

食卓を挟んだ向かい側でも同時に頷くひとが。

その通り!
と。

俺が正しい!
いや、私が!
と、おそらくお互い心の中で叫びながらであろう小競り合いも時々ある我が家ですけども。笑

でも、
「君も正しい。俺も正しい。」
でいいんじゃないかと思うんです。

みんな、見てる立ち位置が違うのだから。
その人から見れば、それが正解で。
その正解を違う角度から見てる人からすれば
いーや、それは違う。
ってなるかもしれないし。

人の数だけ正解があっていいんじゃないかと。


一時期よく“ドレスの色が何色に見えるか?”という写真がSNSで流れてきました。

写真のドレスは金色と白
に見える。
同じ写真を見て、青と黒だと言う人も。
どう見たらそう見える⁈
と思っていても
正解は青と黒
だそうだ。
この場合は脳の錯覚で起こってるらしく、元の写真があるのだから正解はあるってことなんだけど。



同じ出来事を目にしても
同じ言葉を聞いても
見る人、聞く人のフィルターを通して全く違う事に見えてしまい、聞こえてしまうことだってある。

どう考えても相手が間違ってる!
って思うことがあったとしても
その相手も同じように自分は間違ってない
と信じてるわけで。


わかってもらいたい
私を認めてほしい
って思ってる時は、なんというか、
心がぎゅっと固くなってたり
苦しかったりするし
相手を説得するのって
すごくエネルギーを使う。

そして、相手にそうされた時には
頭の中は
はて?
でいっぱいになったり
相手が自分を変えようとしてることに
拒否反応で
心は閉店ガラガラ。

どちらの立場になっても
わかり合えないことに寂しくなったり
なんでわかってくれない?
なんで押し付けてくる?
と傷ついたり
悲しい気持ちになったり。

もちろん、話し合いや喧嘩をすることで
わかり合えたり
絆が深まることもあると思うけど。

わかり合えないことに
時間や労力
エネルギーを使うことが
無駄
とまでは言わないけど
喧嘩してる時間は
もったいないって思う。


わかり合えない時
その時は、理解できなくても、
共感できなくても
いつか、
あの時あの人が言ってたことってこういうことか

と思う時が来るかもしれないし

理解されなかった自分のことも
時間が経って、ある時同じように思ってくれることがあるかもしれない。

時が経って、
自分でも気づかないうちに
その頃とは考えが変わっていることだってある。


わかり合えない時
ぎゅっと固くしてた心をゆるめて
少し引いて見て

君も正しい
俺も正しい

あなたも正しい
私も正しい


そのままを認め合い
平行線のまま寄り添う
という選択をしてみるといいかもしれない。

何より自分が楽に
心の平穏を保てるんじゃないかと思う。

まずは、我が家で小競り合いが起こりそうになった時
このことを思い出したい。


世界の平和は家庭の平和から
家庭の平和は個人の心の平和から

なんて、思ったりした。

ひとりでいても、家族といても
個人の平和が社会の平和につながる。

そんなことを心にとめて
今日も自分の心の平和を大事に過ごそうと思う。



そして、
全く相容れない部分があっても
それ以外では
共感できたり
尊敬できたり
気が合う
つまり大好き!
ということが
多々あったりするのが人と人なんじゃないかと思う。

だったら、そっちに目を向けてる方が
心がしあわせでいられるな
と思うのです。

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