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【評論】ブラームスがオペラを書かなかった理由

 ロマン派の時代に器楽や管弦楽を中心に作品を残したヨハネス・ブラームス(1833-1897)。独自の作風を確立させ、作曲の仕事と作品出版だけで生計を立てていた作曲家である。

室内楽曲、歌曲、合唱曲、管弦楽曲、交響曲、協奏曲などの作品は、前期のロマン派の一歩先を進んだとも言っていい重厚な和声と豊かで深みのある音質の楽曲が多い。

そのブラームスが生涯オペラを書かなかったことはよく知られている。

オペラを好んだのか好まなかったのかはおそらく後者なのであろう。

そして書かない理由をある機会にしっかりと述べている。

ブラームスの知人で回想録を記したヨセフ・ヴィクトール・ヴィートマン(1842-1911)は彼との対話のなかで、その時のことを次のように語っている。

「ブラームスがまったくオペラを書く気にならなかったのは何故かということは、マンハイムで彼と話をしたときに明らかになりました。彼はそのとき私に、自分の思っている台本とはどうあらねばならないか語ったのです。とりわけ彼にとって、ドラマのすべてを作曲してしまう必要はなかった。いやそれどころか有害で非芸術的だというのです。音楽は、ただ盛り上がりのところと、音楽がその在り方に即して本当に何か語れるような筋書きの箇所にのみつけられるべきだ。そうすれば台本作家は対象の劇的な展開のために空間と自由を獲得できるし、また一方、作曲家も妨げられず自分の芸術に打ち込める……それと反対に本来演劇的である対話に、各幕を通して音楽の伴奏づけをしようとするのは、音楽にとって野蛮な要求だ、というのです」

ブラームスのオペラに手を染めることがなかったのは、この発言からもよくわかる。

ヴィートマンが彼から頼まれた台本はブラームス自身も満足していたらしいが、その後もそれに音楽をつけることはなかったという。

上記の主張は作曲家にある特有の思想で、音楽を本意に考えれば当然の結論になるし、演技と音楽の反り合わない違和感は少なからず生じるものがあると考えられていたのである。

必ずしも付した音楽が、舞台芸術のすべてに融合するものではないというのが、根底に見えている。

「音楽」固有の性質を尊重していることと、音楽そのもの、つまり音の本質を他の媒体に絡ませるをことでの音楽的性質、機能を損なうことを危惧をしていると想像できる。

ブラームスは普段から音楽の聴かせ方に最新の注意を払ってきていたのだろうし、他の芸術と阻害しあうことは避けなければいけないことを強く認識していたのであろう。

それだけ音楽家として、音楽成立の条件に厳しい線引きを施していたのである。

上記の「      」内:

三宅幸夫著『ブラームス〜カラー版作曲家の生涯〜』 株式会社新潮社 昭和61年12月20日 平成10年4月5日8刷


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