(21-01-05)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー 第二十一章 祈り(1)~(5)

 古都田に意識がないのを認めた新渡戸は、それ以上古都田を攻撃しようとはしなかった。横を向いて、棒を持っていない方の手を口に当てて、吐き気に顔をしかめて上体を屈めた。

「おじ様ッ!」

 恵美が古都田に駆け寄って跪き、大きく揺さぶる。新渡戸が悲痛な声を絞り出した。

「恵美ちゃん、すまない。親代わりの人を……。でも、こうするしかないんだ」

 恵美は、ネガティヴィティー波を受けた胸のむかつきに加え、古都田が倒された怒りに燃えて、今まで見たことのないような表情で新渡戸を振り返る。じっと目を逸らさずに大きく息を吸い、ゆっくりと手のひらを新渡戸の顔に向けた。

 新渡戸は目を見張って、慌てて自分も息を吸い、雉島の衝撃波をかわしたように、右腕で顔を覆い隠したが、今回はあまりにも至近距離だ。恵美が雄叫びじみた声を上げる。

「ええーッ!」

 新渡戸は恵美が発した衝撃波をまともに喰らい、五メートルほど吹き飛んだ。多少減衰しつつも、同じ波が同心円状に拡がり、もう少し離れたところにいた、万三郎、ユキ、杏児、ちづるにも届いた。恵美の衝撃波は、身体と心が同時に揺さぶられるような感覚だったが、雉島のそれとは違い、吐き気は伴わない。それどころか、万三郎たちが見ていると、雉島の衝撃波で打ちのめされていた【hope】たちが、恵美の衝撃波を浴びた後、少しずつ立ち上がり始めたのだ。

 恵美の動きを見ながら、雉島が驚いたようにつぶやく。

「『おじ様』だと? お前は、ひょっとして……」

 恵美は新渡戸が吹き飛んだのを見届けると、古都田の上半身をそっと地面に横たえてから後ろを振り返り、今度は雉島に向かって手のひらを広げる。それを認めて雉島は大きく息を吸い、衝撃波を放射した。同時に恵美も衝撃波を放射、それは、広がりかけた雉島の衝撃波にぶつかると、その表面を覆うように広がって、ゴム膜のように、次第に拡散のスピードを抑え、やがて波を半球状に包み込んだ。それは先程古都田の衝撃波が雉島のそれを包み込んだのと同じパターンだ。

「恵美ちゃん、すごい……」

 横からその光景を見ていたユキは、感嘆の声を上げる。

「僕、あれ、分かるかもしれない……」

 そうつぶやいたのは、杏児だ。

「え、颯介さんも?」

 杏児の腕の中から身を起こしながら、ちづるが反応した。

「私も、できるのよ。訓練したから。颯介さんも訓練を?」

 杏児はふっと表情を緩めた。

「僕、ここでは三浦杏児って呼ばれてる。僕は、訓練したんじゃなくて、さっき、恵美さんの波を浴びたとき、ニューヨークで仲間を助けた時に感じた感覚と同じだと思った」

 ちづるは頷く。

「あ、分かる。東京を出てここまで来るときに、颯介さ……杏児さんに何があったか恵美さんから聞いたわ。衝撃波というか、念波よね。じゃあ、恵美さんを一緒に助けなくちゃ」


 その時、恵美は怒りに燃えて雉島の波を抑え込んでいた。一方の雉島は、念波を発して対抗はするものの、関心を隠さず恵美を試問するという、不思議な状況になっていた。

「この念波は、誰に教わった?」

「おじ様よ」

 恵美はちらと足元を見た。古都田は相変わらず意識がない。

「恵美……お前、親は?」

 恵美は古都田から視線を外し、キッと雉島を見返して、手のひらを雉島の顔に向け直す。

「私の名前を気安く呼ばないで! 見ず知らずの人に親のことを答える筋合いなんかない!」

 食ってかかる恵美にひるみもせず、雉島は問いを重ねる。

「恵美、キジシマという名前の響きに覚えはないか」

「……知らない」

「そうか……」

 一瞬表情を曇らせた雉島は、目つきを厳しくして、さらに息を吸うと、ネガティヴィティー波の威力をぐっと増した。それによって、恵美の念波によって包まれたエリアが押され気味になり、念波同志がせめぎ合う境界が恵美のすぐ近くまで寄ってきた。恵美は歯を食いしばって押し返そうとするが、雉島のパワーは強かった。

「恵美、俺と一緒に地中に潜ろう」

 恵美はこの人は何を言っているのだと言わんばかりに目を見開いて、さらに手のひらを震わせながら境界線を押し戻そうとしている。

「あなたはソウルズでしょう? 私は、あなたと違ってリアル・ワールドに肉体を持っているヒューマンです。おかしなこと言わないで」

「リアル・ワールドは滅びる。肉体はもう意味を持たない」

「黙りなさい!」

 その時、恵美のすぐ後ろで古都田が目覚めた。

「おじ様ッ!」

「恵美ッ、何がどうなってる?」

 恵美の意識が古都田に向いた隙に、さらに境界線が恵美の目の前に迫る。

「く……」

 必死に食い止めながら、古都田に叫ぶ。

「新渡戸部長が、おじ様を後ろから殴った。後ろッ!」

 古都田はハッと顔を後ろに向けた。棒を振りかぶった新渡戸が、夜叉のような顔をして古都田に駆け寄ってくる。

「社長! 身体をどこに隠した!」

 古都田に立ち上がる余裕はなく、そもそもなぜ、腹心である新渡戸が自分に殴り掛かってくるのか理解できないのだろう、新渡戸を見たまま凍りついたように動かなかった。

「おじ様ッ、けて!」

 雉島の念波を封じ込めるのに精いっぱいの恵美が、振り返ることなく叫ぶ。

「うわっ!」

 しかし、次の瞬間、声を発したのは、新渡戸の方だった。新渡戸は再び五メートルほど、今度は横に吹き飛んだ。吹き飛ばしたのは……。


「出た! 杏児さん、二人の力を合わせたら、念波が強くなってる」

「あ、ああ。だけど……」

 杏児は明らかに困惑していた。困惑しながらも立ち上がり、ちづるに手を引かれて、古都田と恵美のもとへ歩いて行った。

「恵美さん、加勢するわ」

 ちづるは恵美に並んで雉島に向けて手のひらを広げた。

「むう、邪魔するな!」

 雉島はさらに息を吸い、念波のエリアを広げようとした。彼の意志はもはやはっきりしている。恵美を絡め取って地中へ連れ去りたいのだ。

「社長、大丈夫ですか」

 古都田は杏児に上体を助け起こされる。雉島の念波が、恵美とちづるが力を合わせることでしっかりと封じ込められているのを確認して、古都田は恵美と背中合わせに立ち上がった。

「しかし……なぜ新渡戸くんが……」

「社長、なぜここへ?」

「雉島が東京を出てこちらへ向かったと知ったからだ。奴にだけは、お前たちの邪魔をさせるわけにはいかん。しかし……」

 古都田はしかし、邪魔をさせたくないと言ったその相手に背中を向けて立っていた。その視線の先には、目を血走らせて三たび向かってくる新渡戸の姿がある。

 杏児は思わず新渡戸に訊く。

「新渡戸部長、あなたは出雲大社で戦うのではなかったのですか」

 新渡戸はそれに答えない。古都田は杏児よりも大声で呼びかける。

「新渡戸くん、なぜだ。何を血迷っている」

 新渡戸は、杏児が古都田を守るように間に割って入って立つのを認めて、足を止めた。

「古都田さん、あなたがKCJの社長で残念だ」

「なんだと?」

「KCJは間違っている。いったん解散した方がいい」

「なぜだ」

「何人の人間を人体実験に供してきた? あなたは人として、そのことに疑念は抱かないのか」

「……」

「私は抱く。ずっと抱いてきた。自然のままなら助からない人間が日本のどこかにいると聞けば、こっそり運んできて無理に蘇生させる。それだけなら美談だが、本人に事実を知らせず、カプセルに閉じ込めて、脳に電気を流して強制的に高速学習させる。それに耐えきれず、検体が精神異常をきたしたら、覚醒させて解放してやるわけでもなく……」

 新渡戸はたまりかねたように脇を向いて口をつぐんだ。

「新渡戸くん、今その話を持ち出す必要は……」

「いいや古都田さん、今だからこそ私は言っている。私はアポフィスの軌道がそれ、人類が助かることを願っている。もちろん、私も助かりたい。だが、人類が助かっても、KCJプロジェクトはこれまで通り進められるだろう。いや、そこにいる三浦くんたち三人の救国官の働きが評価されて、より大々的しかし秘密裡に、国家が人体実験を進めるかもしれない。古都田社長……」

 新渡戸は一歩、前へ踏み出した。

「私は知っているのです。以前、ETの数が多くなりすぎて、カプセルが足りないことがあった。ある日、あなたと石川審議官が社長室で話をしていた。その次の日から、言動がおかしかったETたちが、一人、また一人と、研修室に来なくなっていった。社長! 彼らはどこへ行ったのです? その後、リンガ・ラボのカプセルに空きができていたのはなぜですか!」


 新渡戸はさらに一歩詰め寄った。

「今、アポフィスの軌道をそらせるために働いている、そこの三浦くんや中浜くんは、高速学習にたまたま耐性があったから良かった。だが半年前に副作用の出た福沢くんの苦しみを、古都田さん、あなたは知っているはずだ。福沢くんの最初の同僚たちは、精神がおかしくなって以降、いつの間にか行方不明になった。『次は自分かもしれない……』と思う福沢くんの恐怖はどれほどのものだっただろうか……。その彼女に、あなたは同僚の監視役、スパイになれと命令した。彼女はそれを断ることができただろうか。できるはずがない。断れば消されるからだ。彼女は、心の傷を負ったまま命令を遂行し続け、最後に、その傷を負った現場、ニューヨークに強制的に派遣された。そこでおそらく福沢くんは、歯を食いしばってトラウマに耐え、ミッションをやり遂げた。だが直後に、三浦くんと中浜くんに正体がばれた。古都田さん、あなたは、川に身を投げた福沢くんの気持ちを理解しているはずだ。さらに!」

 古都田が何か言おうとしたが、それを遮るように新渡戸は続けた。

「さらに、決して自ら望んでなどいない高速学習の実験にかけられて、予定通り、敗者の烙印を押されたチーム・スピアリアーズの三人は、覚醒することも許されず、劣等感にさいなまれながら、処分される時をただ待っていた」

 古都田がハッとして言った。

「新渡戸くん、君だったのか! 君が彼らを……」

 新渡戸は頷く代わりに恵美をちらりと見て、そのまま言葉を継いだ。

「古都田さん、あなたは渡米直前の石川さんから命令を受けていますね、『スピアリアーズの三人のカプセルは、俺が帰国するまでに処分しておけ』と」

 杏児が驚愕の声を上げた。

「なんだって!」

 驚愕している杏児の後ろで古都田が答える。

「ああその通りだ。だが私にはできなかったし、恵美に命令することも……」

 新渡戸はゆっくりと古都田に目を据え直す。

「そうです。私が知っているあなたは、優しい人だ。頬の銃創の治療を終えてラボに帰ってきたあなたは、スピアリアーズのカプセルが空になっているのにすぐに気付いた。だがそれは、恵美ちゃんが、そんなあなたの心情を慮って、あなたに先回りして秘密処理班を手配したのだと思ったのでしょう? 以前、あなたの作業に立ち会って、彼女は手順を知っているから」

「……」

「でも、恵美ちゃんだって、そんなことはしたくない。だから何者かが――恵美ちゃんはそれが私だと分かっていたと思うが――生かして彼らを覚醒させ、逃がしたのだと悟った時、ホッとしたはずだ。彼女自身もきっと、私と同じことをするつもりだったからだ。そうだね、恵美ちゃん」

 それまで古都田同様、驚きを隠せなかった恵美だが、そうだと答える代わりに逆に問い返した。

「急に覚醒させて、暴れたのでは」

 新渡戸はわずかに笑って吐き捨てた。

「手足を固定したまま覚醒させた。落ち着くまで一時間程度、祖父谷くんは絶叫していた。また女性たちは狂暴になるようなことはなかった。どうだ、貴重なデータになるかね?」

 恵美は目を伏せて脇を向いた。

「古都田さん、恵美ちゃんはあなたと一緒に病院に付き添っていただけです。処理班を要請してはいない。あなた方の留守中に私は一人ラボに戻って、彼らを覚醒させた。そして彼らにKCJの真実を伝えた」

 古都田が訊き返す。

「KCJの真実……」

 新渡戸は古都田をまっすぐ見返す。

「ことだまワールドのこと、高速学習のこと、彼らの精神障害はその副作用であること、アポフィスのこと、みどり組のニューヨーク行きのこと、そして……」

 新渡戸の声に怒気がこもる。

「スピアリアーズは、最初からみどり組の『噛ませ犬』、アンダードッグに過ぎなかったこと。みどり組が覚醒してミッションに動き始めた今、スピアリアーズはその役割を終えたこと。そして秘密保持のため、レシプロした状態のまま処分される運命だったこと」

 新渡戸と古都田の間に立つ杏児は、目を見張ったまま、かすかに頭を左右に震わせていた。

「古都田さん、祖父谷くんは、自分の役割を知っていたそうです。ある夜、自分だけ雉島さんから教えらえたらしい。彼は仲間にそのことを伏せたまま、あえて運命に抗おうと修了テストに挑んで、そして運命通り敗退した。死は覚悟していたそうです」

 古都田は一度逸らした視線を新渡戸に据え直した。

「覚悟していたのなら、やはりあのまま安楽死させてやった方が良かったのではないのか。事実を伝えた上で生かしておく方が残酷ではないのか」

「あんた、何様なんだ!」


 新渡戸は激しく怒気を発した。杏児が我に返って身を構える。

 新渡戸はしばらく怒りに震えたが、大きくつばを飲み込み、幾分冷静な声に戻って言った。

「古都田さん、四葉京子くんが他の二人の監視役だったことは伝えずに伏せておいた。高速学習中のいつの時点からか、彼女は祖父谷くんを支えてきた。覚醒した今、祖父谷くんには今まで以上に彼女の支えが必要だ」

 目をさらに見開いた杏児は、何か言いたそうに口をもごもごさせたが、新渡戸はそれに構わず続ける。

「私は、二度とKCJに関わるなと彼らに伝えたが、彼らはしばらく黙った後、こう答えた。自分たちはすでに、リアル・ワールドに身の置き場がない。ましてや数日中に地球が滅びるというのであれば、地球を救うために闘うみどり組の三人を陰から助けたい、と」

 新渡戸は一歩、古都田に近づいた。杏児と古都田が一層身構える。新渡戸は一瞬天を仰ぎ、それから古都田をより厳しい目で見つめ直す。

「私は正直、私の思いを伝えた上で、キジシマ派に来ないかと彼らを誘いたかった。喉元までその言葉が来ていた。だが、結局私は言わなかった。もし万が一地球が助かるなら、彼らは覚醒したのだから、ことだまワールドなど忘れて、普通の暮らしを送ることができる。彼らには自分の意志で生きる権利があるのだから。そうは思いませんか、古都田さん」

 強く訴える新渡戸の目に負けて、古都田は思わず目を逸らした。新渡戸はそれを確認して続ける。

「そう、本当はあなたは、優しい人なんだ。だからこそ残念です。おそらくあなたの過酷な命令は、石川さんから指示されている。あなたは社長であるが故に、いや、それ以上の何らかの理由で、石川さんの命令に背くことができない」

「……」

 答えに窮している古都田に、新渡戸はさらに一歩、近づく。

「だが私はもうたくさんだ。この人体実験プロジェクトは凍結するべきだ。私は石川さんに三度、直訴しました。三度目に言われました。『四度目はない。お前が死んで、プロジェクトは続くぞ』と。古都田さん、あなたはなぜ、あの人の言うことに反論できないのですか! あの人はいったい何者なのですか」

 古都田はただ苦い顔をしている。杏児もどうしてよいのか分からなくなっている。杏児は、機内で石川に襟首をつかまれたことを思い出していた。

 しばらくして、古都田が低い声でようやく答える。

「新渡戸くん、言ってはならんことが、あるんだ」

「では、あなたにいなくなってもらわなければ、やはりプロジェクトは止められないということですね……」

 新渡戸はさらに一歩、近づいた。もう二、三歩踏み込めば、棒が打ち込めるほどの距離だ。

「古都田さん、それならもっと言いましょうか。そこの恵美ちゃんのことです」

 古都田の顔色がサッと変わった。

「新渡戸部長、黙りなさい!」

「いいえ、黙りません。恵美ちゃんこそ、KCJプロジェクトの最大の犠牲者じゃないですか!」

「新渡戸くん、止めろ!」

「あっちの雉島さんももう一人、最大の犠牲者だ。古都田さん! 雉島さんは、KCJがこれまでやってきたことの負の象徴でしょう? 違いますか? 今、彼はどんな気持ちで自分の娘と……」

「新渡戸ーッ!」

 古都田は、杏児を払いのけて新渡戸に突っかかって行った。杏児はバランスを崩してつんのめった。新渡戸は棒を振り上げ、古都田の額に狙いを定める。

「おじ様ーッ!」

 背中でやりとりを聞いていた恵美がたまらず後ろを振り返る。直ちに、ちづると二人がかりで対抗していた雉島のネガティヴィティー波が、均衡を破って襲ってくる。

 そんな瞬間に起こった、まさしく一瞬の出来事だった。


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