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(20-16-19E)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー 第二十章 伊勢(16)~(19)
十六
そう言ったのは万三郎ではない。ユキが雉島の右背後から、万三郎の手首をつかんでいる雉島の上腕に斜めに手刀を振り下ろしながら言ったのだ。ところが、雉島は背後のユキに気付いていた。肩口から肘関節のあたり目がけて振り下ろされてくるユキの手首を、雉島は左手で素早くつかんだ。
「あっ!」
ユキが叫ぶ間もなく雉島は、手首をつかんだままの左手を、自分の頭の周りをぐるりとめぐらせて、万三郎とは反対側へ導いた。なされるがままにユキは雉島の左側へ回り込まされた。そうしなければ腕がへし折られるからだ。
「クッ……」
ユキもまた、捻られる手首の痛みに唇をゆがめた。
雉島は言う。
「貧困、飢餓、暴行、略奪、裏切り、陰謀、戦争、レイプ、テロ……。人類が生きている限り、これらは地球上から無くならん。そして今、ほとんど百パーセントに近い確率で小惑星が衝突するってのに、皆が皆、お行儀よくお茶の間で希望だけを念じていると思うか。【hope】たちを撃ち落としている本質は【bad!】ではない。【bad!】の周りに続々と集結している、ほかならぬ、人類自身のネガティヴなことだまなのだ。見ろッ!」
雉島は両手をクイッと捻り、上空を顎で示した。促されて、というより、強制されて、捕われの二人は空を見上げた。最後に飛ばした【hope】たちも、やはり追撃され、落下しながら光を失っていった。
「【hope】たちに取りつく【-less】どもだ。喜んで自分たちで飛び立っているんだ。プラスとマイナス。ことだまエネルギーが打ち消されて堕ちていく。【hopeless】――絶望、だよ」
雉島はそこでいったん言葉を切って、フッと笑った。
「お前たちがレシプロしてくる前、俺は【bad!】が今いる場所を見てきた。無数の【-less】どもがひしめいていた。【hope】を無効化するにはうってつけの奴らだ。お前らが【hope】に限って招集したのとは対照的に、ネガティヴ・ワーズどもは何も限定されていないから、【no】、【despair】(絶望)、【disappointment】(落胆)、【pessimism】(悲観)、【lament】(悲嘆)、【dismay】(狼狽)、【catastrophe】(悲劇的結末)など(2)、それはもう、多彩な顔触れがそれぞれ無数に集結していた。今ここに集まっている【hope】より、あっちの方が多いくらいだろう。お前たちは今、目の前の【hope】たちを見て、希望で胸を膨らませているかもしれんが、むしろこいつらは少数派なのだ。分かったか!」
そこへ、杏児の叫びが重なる。
「絶望だって? 絶望したら、あんたも死ぬじゃないか!」
杏児が雉島の後ろから襲いかかった。羽交い絞めにして、万三郎とユキを解放させようとする算段だ。
だが、首にかけた杏児の右腕が、雉島が大きく息を吸ったのを感じ取った次の瞬間、杏児は勢いよく後ろに吹き飛ばされていた。杏児だけではない。雉島が手を離したのだろう、万三郎もユキも、それぞれステージの端っこまで吹き飛ばされたのだ。それどころか、ステージ前の【hope】の群集も大勢が倒れ、うめいていた。杏児は、したたかに身体を打った痛みとは別に、気持ち悪さが蔓延し、思わずウェッとえづいた。
雉島は車椅子に座ったまま振り返って静かに杏児に言った。
「気をつけろ、俺はだてにことだま裏ワールドを支配しているわけじゃない」
十七
「『ネガティヴィティー波』という、俺の武器だ。陰性の気を一気に放射する。今のは手加減したが、お前らでも気持ちが悪くなっただろう。ワーズたちのダメージは大きいぞ」
そう言って雉島は、車椅子を転回させて、尻もちをついている杏児のそばに来て杏児を見下ろしながら言った。
「俺はソウルズだ。お前たちと違って、ことだまワールドにしか存在していない。滅びるのはリアル・ワールドの人間どもだ」
「だからといって邪魔することはないでしょう?」
「言ったように、ネガティヴなワーズどもが【hope】に取りついている理由のほとんどは、お前らリアル・ワールドの人間どもの思考の結果だ」
「でもあんたはネガティヴを指揮している」
「ああ。この際、リアル・ワールドの人類は、一度滅びた方がいいと思っている」
「リアル・ワールドが滅びたら、思考する人類自体がいなくなるのだから、雉島さん、あんたも含めて、ことだまワールドも消滅するんじゃないのか」
「消滅することで、『相』が変わるんだ」
「『相』?」
「お前は、人類最後の一人が死ぬとき、その人間の心の中には、希望があると思うか、絶望があると思うか」
「……」
「俺は、絶望だと思う。ことだまワールドでも【hope】が死に絶え、【hopeless】だけが残る。そして思考主体である人間がいったん途絶える。だがこの星の生命は再生する。それは今のお前らホモ・サピエンスではないかも知れない。俺にとってはそれはどうでも良い。いずれその新生物が高度な知性を持って、言葉を操るようになるとき、俺は、俺の価値観をベースにした世界を築き上げる。
「ネガティヴの帝国……か」
「『相』が変わると言っただろう。片方を規定するから、もう片方の意味が決まるのだ。【hope】が先に滅びた瞬間、【hopeless】はもはや絶望を意味しなくなるのだ」
「分からない」
「分からなくていい。分かったところでどうせお前らの命はあと数時間しかないのだから」
起き上がってきた万三郎とユキが、あと数時間と聞いて慌てて活動を再開する。
「次ッ! 次の【hope】、来て!」
【hope】たちは、気を失っているステージ近辺の仲間を、邪魔にならない所に移動させ、介抱する。その一方で、新たな【hope】たちが打ち上げを希望してどんどん詰めかけてきた。雉島は車椅子ごとステージ前方へと移動していった。立ち上がった杏児がその後を追う。
「雉島さん!」
杏児が雉島の前へ回り込んで車椅子の両輪をつかんだ。
「ネガティヴが人間の思考の必然だと言うなら、僕たちの邪魔をせずに、さっさと地中に潜るなりして、望み通りになるのを見ていればいいじゃないか」
雉島は杏児をじっと睨んでいたが、フッと息を吐くと虚空に視線を移して言った。
「汚い野郎が、自分の築いた世界を何とか守ろうとあがくのが我慢ならん。その努力を踏みにじって、絶望感を味わわせたい。どけ、若造。次はもう少し強く放射するぞ」
「何言ってんですか! そんなことして何になるって言うんだ」
雉島は、性懲りもなく万三郎とユキが【hope】をカタパルトに載せて発射しようとするのを見て、先ほどと同じように大きく息を吸い込んだ。
「雉島さん、止めてくれぇ!」
杏児の願い虚しく、ネガティヴィティー波は放射された。杏児の身体はこの衝撃波に吹き飛ばされてさっきよりも遠く、空中を飛んでいく。ところが、杏児を吹き飛ばした後もさらに広がりつつあった衝撃波は、途中で何か透明なドーム型のバリアにぶつかって、内側に戻り始めた。
「うおっ!」
雉島の表情が一変する。景色のゆがみが自分に向かって戻ってくるのを認めて、雉島は反射的に車椅子から脱出してステージの傍らに身を投げ出した。その直後、衝撃波が車椅子の座面の一点に収れんして、車椅子は爆発的に発火した。
炎に包まれる車椅子。雉島はうつ伏せの状態から両手を床について上半身を起こし、目を見開いて辺りを見回している。
「まさか……」
十八
杏児の身体は、サッと飛び出した二人の人影に危なっかしくもキャッチされ、地面に直接激突するのを免れた。細身の杏児を身を呈して守った二人の人影は女性だった。受け止めた衝撃で地面に倒れ込んだ一人は、黄八丈の着物を着ている。
万三郎が叫んだ。
「えっ、恵美さん! 恵美さんか?」
「何、恵美さんだって?」
仰向けに倒れてはいるものの、意識はしっかりしている杏児が、吐き気に顔をゆがめながらも万三郎のセリフに驚いて、地面に手をついて身体を翻し、自分の下敷きになっていた人の顔を見る。
「あっ! 恵美さん……」
着物の女性はまさしく藁手内恵美だった。
恵美は背中を打った痛みに耐えつつ、それでも恵美らしくニコリと杏児に微笑みかけた。
「連れて来ちゃいました。社長の許可をもらって……」
「え?」
恵美が移した視線にしたがって、杏児はもう一人の女性を見た。
「ちっ……ちづる! ちづるかッ?」
女性は今の衝撃で一時的に気を失っていた。杏児はその頭を腕に抱え込んで、名前を呼びながら揺すった。
「ちづる、ちづる……」
恵美は支えていたちづるの身体からそっと自分の身体を抜いて、小さな声で杏児に言う。
「ちづるさんは、検体番号JCS‐〇一〇、『藤堂明穂』ということだまネームです。身体は、リンガ・ラボのカプセルにあります」
杏児が顔を上げて訊く。
「生きてるの?」
恵美は頷いた。
「ことだまワールド内を移動してきました。三浦さん、無事で……」
恵美は言葉を続けようとしたが、その時、ちづるが軽く呻いて杏児の腕の中でゆっくりと目を開いたので、杏児の意識がちづるに向いた。
「あ、颯介さん……颯介さん……」
「ちづるっ!」
杏児はちづるをぎゅっと抱き締める。
恵美は微笑みを浮かべたまま、ふとあらぬ方向に顔を向けてつぶやいた。
「無事で、良かった」
十九
「汚い野郎とは、私のことか、雉島」
「他に誰がいるというんだ、古都田」
言葉を交わしてはいるが、二人は闘っていた。雉島が深く息を吸い込んで、ネガティヴィティー波を放射する。それは、それまでとはまるでパワーが違うことが、透明な景色のひずみ具合でよく分かった。だが、それほど強い衝撃波でも、古都田がカッと目を見開いて発するバリアの念波をなかなか越えることができない。二つの力が拮抗している境界線が周りの皆の目にもはっきり認識できた。雉島の念波のこちら側への広がりを直径三メートルほどで抑え込んでいる古都田。その顔を汗が流れ落ちる。古都田自身は、今はざっと左右に割れて道を開いている【hope】の群集の間、二十メートルほど向こうから念を発していた。
「雉島、あれほど誤解だと言っても分からんのか」
古都田は厳しい眼差しを雉島から逸らすことなく、ステージへとゆっくり歩いてくる。
「誤解だと? バカめ。『ああ、俺が死んだのは誤解が原因なのかあ……』と納得するとでも思っているのか」
そう毒づくと雉島は「ふんッ!」と一層気合いを入れた。気合いとともに、雉島の念波の境界は一瞬にして一メートルほど後退した。しかし同時に雉島は、自分自身の足でステージに立ち上がったのだった。そして、いったん立ち上がってしまうと、念波のドームの直径は逆に、五メートルほど古都田の念波を押し戻した。
「古都田、ここでお前と会えるとは予想していなかった。お前が東京から出て来たら、皇居と首都は誰が守るんだ。ふんッ!」
押し気味になった雉島のパワーに対抗するため、古都田もさらに気を集中させる。汗が、さらに一筋、古都田の頬を伝い落ちた。
「大泉総理の指示で、石川さんが守っている。雉島、もう一度、ゆっくり話せば分かる。だが頼む、今はとにかく救国官たちを邪魔しないでくれ」
古都田のセリフの最後を塗りつぶすような大声で雉島は嘲った。
「笑わせるな! 今お前が食い止めている俺のネガティヴィティー波の源泉は、古都田、お前に対する憎しみだ。俺を陰謀で消し去って、お前が内村さんから引き継いだ、この、ことだまワールドの秩序を叩き潰すことだけが、俺の行動原理だった。腹立たしいことに今まではお前の力が上で、俺はことだまワールドの裏世界に封じ込められていたが、そこへアポフィスがやってきた。千載一遇のチャンスだ。今度は俺がお前とお前の世界を消し去る番だ」
そこまで言うと雉島は「やれ」と言って頷いた。古都田が怪訝な顔をした瞬間、背後からいきなり何者かに棒のようなもので後頭部を殴られて、古都田はその場に崩れ落ちた。とたんにパワーバランスを失ったネガティヴィティー波は、幾分弱まりながらも、スッと広がっていった。後ろから殴った人物は、棒を持ったままの右腕で顔を覆い隠すようにして衝撃波をしのぎ、後ろに数歩よろめく程度で済んだが、その後ろにいた【hope】たちは、悲鳴を上げながらことごとくなぎ倒されていった。
ネガティヴィティー波は、杏児とちづる、そして恵美に駆け寄っていた万三郎とユキの元も通過した。波が弱まっていたので、突風が吹き抜けるようだったが、その直後に気分が悪くなる。吐き気を押さえながら恵美が叫ぶ。
「おじ様ーッ!」
衝撃波から顏を守った腕をゆっくり下ろした人物が、古都田に駆け寄ろうとする恵美を見て、棒を振る手に再び力を入れる。その人物の顔を見た万三郎とユキは思わず驚愕の声を上げた。
「新渡戸部長!」
◆◆◆
(1)【-less】否定の意味を持つ接尾辞。接尾辞は、単語の中心部分(語幹)の後ろについてその単語の意味を補足する。この【-less】については、語幹の意味を否定してしまう。(例)”careless”(不注意の)、“borderless”(国境のない)(“border”は「国境」)、“stainless”(ステンレス鋼)(“stain”は汚れ)。すなわち、「汚れのつかない金属」。なお、接尾辞ではなく、ひとつの単語としての“less”は「より少ない」という意味の形容詞。
(2)ここで挙げられている単語(ワーズ)の、カタカナ表記によるおおよその読みと意味を以下に挙げておきます。
・【despairディスペア】(絶望)
・【disappointmentディスアパイントメント】(落胆)
・【pessimismペスィミズム】(悲観)
・【lamentレマント】(悲嘆)
・【dismayディズメイ】(狼狽)
・【catastropheカ'タストロフィ】(悲劇的結末)
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