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(19-16-20)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー 第十九章 前夜(16)~(20)

十六

 民間車通行止めになっている名古屋高速はスイスイ走れるだろうと予想していた杏児の期待は裏切られた。凄まじい横風に恐ろしいほどハンドルを取られるのだ。ジャンクションを経由して伊勢湾岸自動車道に入ると、伊勢湾を渡ってくる暴風が横からまともにぶち当たり、ハンドルを切り誤ると、車体が浮いてひっくり返ってしまうのではないかと思われた。ヘリの副操縦士が、普通の台風の真っただ中と同じレベルだと二時間前に言っていた風は、すでに普通の台風のレベルを超えているのかも知れない。

 小牧基地を出る時はまだそれほどひどくなかった雨も、今はバチバチと音を立てて弾丸のようにフロントガラスを襲っている。雨粒による水煙が左右に荒れ狂って、まったく前が見えなくなった。

 自衛隊から借りたピックアップトラックは、一列シートだ。杏児が運転し、ユキが真ん中に、万三郎が助手席側に座っている。

 ハンドルが大きくとられるたびに、ユキは騒ぎ、杏児は文句を言い返した。

「杏ちゃん、私たちを殺す気? もっとスピード落として!」

「これ以上遅く走ったら、明るいうちに着けないよ!」

「ほら、もっと右、右! 中央線見えてないの?」

「ちょっ! 横からハンドル触るなよ、危ないだろ! 中央線なんかこの雨で見えないって! どうせこの暴風雨の中走ってる車なんて僕ら以外にいないんだから、レーンなんか守らなくても大丈夫だって!」

「もう、このへたくそ! 私が運転するから代わってよ」

「ユキッ! 君、バックシート・ドライバーって言葉知ってるか?(1)」

「何よ、知ってるわよ」

「知ってたら君が座るところは僕の隣りじゃない」

 杏児はそう言って、後ろの荷台を親指で指さした。ユキはブスッとした顔で黙り込んだ。 

 万三郎はといえば、さっきから二人のやりとりには加わらず静かに座っている。暴風雨の中、どれほど走っただろうか。時刻はもう四時を過ぎている。晴れていればまだしばらく陽は落ちないが、分厚い雲は相当量の光を遮って、もう黄昏の様相だ。

 高速道路が海辺から離れることで、いったんましになった風は、その後は強くなる一方で、近づいてくる台風に真っ向から突っ込んで行っている実感がある。行先表示板を照らす照明はもとより、インターチェンジ近くでも道路灯が点いていない。やはり広範囲に停電しているようだ。

 ヘッドライトをハイビームにし、ワイパーを最速にし、ハンドルをがっしり握りこんで、しかめっ面で前のめりになって運転していた杏児が、何の前触れもなくブレーキをべた踏みした。運転への不安と、文句を言うのを封じられた不満で、しばらく黙っていたユキは、そのまま疲れでウトウトしかかっていたところに、激しい減速で強制的に目を覚まさせられた。シートベルトをしていなかったらフロントガラスに頭をぶつけていただろう。それは万三郎も同じだった。

「きゃあ!」

「うわっ!」

 走行速度がそこまで早くなかったおかげで、ピックアップトラックは、路面を滑るだけ滑ったものの、奇跡的に横転せず、まっすぐ前を向いたまま停止した。

「何てこったい、ホーリー・マッカラル……」

 三人が目を見張った。


十七

 ハイビームで照らされた前面の道路には木が茂っていた。いや、正確に言えば、切り通しの法面のりめんが土砂崩れを起こし、こちらの二車線を完全にふさいでいたのだった。土砂崩れが起こってからそう経ってはいまい。だが、待っていれば復旧の工事車両が来るとはとても思えない。

 土砂は反対側車線までには達していなかったが、高速道路の真ん中には中央分離帯のガードレールがあって、杏児の運転するピックアップトラックは、これを踏み越えては行けない。

「こんなところまで来て立往生か、参ったな……」

「杏児、今、どの辺りなんだ?」

 ユキの前のナビ画面を覗き込みながら万三郎が訊く。

「GPSは信用できないけれど、さっき確かに松阪インターを越えた。もう少ししたら道が分岐する。分岐したらもう、伊勢神宮までそんなに遠くないんだけどな……」

 ナビの地図を拡大、縮小しながら杏児がつぶやく。

「歩ける距離?」

 ユキの無邪気な問いに杏児が笑った。

「ハッハ。いっそ風で吹き飛ばされた方が早く着くかもな」

 万三郎が言う。

「杏児、戻ろう」

「松坂インターまで戻って一般道に降りるか? かなり時間がかかりそうだが仕方ないな……」

「いや、運が良ければさっき通ったトンネルの手前か向こうで、ガードレールが外れて、対向車線に移れるかもしれない」

 ユキが素っ頓狂な声を上げた。

「ええっ、逆走するの? やめてよ! 対向車が来たら衝突しちゃうじゃない!」

 万三郎と杏児は思わず顔を見合わせる。

「ユキ、大丈夫だよ、この道走ってるのって、俺たちくらいだから後続車なんて来てない。だからぶつからない」

「ど、どうしてそう言い切れるのよ? 万三郎の言うようにトンネルの手前で反対車線に移れたとしたら、そこから先、ずっと逆走じゃない! 静止してる土砂でもぶつかりそうになったのに、この雨の中、相手が向かって来てたら、お互い気付く前に正面衝突するでしょ!」

 万三郎はユキ越しに杏児に助けてくれと視線を送った。杏児は両腕を広げて手のひらを上へ向け、「お手上げだよ」というポーズをした。その仕草を振り返ったユキが見てしまったものだから、まずかった。

「今の何? み、三浦杏児! わ、私を馬鹿にしたでしょ! こいつ馬鹿だと万三郎に合図したんでしょ!」

 まあまあと万三郎がユキの肩を叩く。

「ユキ、どうしてそんなに車の運転を恐れる?」

 ユキは大きなため息をついた。

「い、ETになる前の……トラウマよ」

 杏児が急に深刻めいた表情でユキに言う。

「ひょっとして、新たに判明した高速学習の副作用か?」

 ユキはキッと顔を上げて杏児に向き直った。

「とととにかく! 逆走はダメ」

 杏児もイライラを隠さなかった。

「じゃあ、どうするんだよ」

「かか考えて!」

「考えたのが逆走なんだよ! 分からん奴だな、君は!」

「たた対向車来たらどうするのよ、分かんない男ね、あなたは!」

「いいか、ユキ。対向車は、こ・な・い! 来ないんだッ! ここまで走って来て一台も対向車に出会わなかったろ? これからも一台も来ない」

「もももし来たらどうする?」

「ああ、もう! もし来たら、ドジョウ掬い踊りやってやるよ、地球を救ってからな」

「杏ちゃん、昔のこと引き合いに出して私を馬鹿にしたわね」

 杏児はつっかかってくるユキを無視して車のギアをバックに入れながら言った。

「来たら向こうのヘッドライトで分かる。向こうも、こっちのヘッドライトで分かる」

 万三郎が慌てて言った。

「杏児、待ってくれ」

「待てないッ!」

 イライラした杏児がそう言い放って車の向きを変えようとした時、万三郎が言った。

「対向車が、来た」


十八

 対向車が来た。土砂崩れとこちらのヘッドライトに気がついて減速してガードレール脇に車を寄せた。これ以上風が強くなれば吹き飛んでしまいそうな軽自動車だった。向きを変えようとしていたこちらの車のハイビームが向こうの右側の前後のサイドウインドウをまともに照らしつけたので、打ち付ける雨粒の向こうで、運転席と後部座席の人物が腕をかざして光を遮っていた。

「あ」

 申し訳ないと思った杏児はライトをスモールに変え、ハザードランプを点滅させる。

 すると軽自動車はハンドルを一杯に切って急発進、向こう側で大きく転回して、車の正面を、こちらの正面に対面させるように動いて止まったのだった。そして向こうの車はまるで仕返しのようにこちらにハイビームを当ててきた。

「うう、眩しい……」

 こちら側の三人は揃って手をかざして光を遮ろうとする。

「眩しいって!」

 言いながら杏児は、相手に再びハイビームを当て返して、眩しいと意思表示をした。相手がハイビームをやめたその瞬間、運転席と助手席、それからその間に後部座席から顔を出している三つの顔が見えた。

 三つの顔は全て驚きで口が開いていた。

「えッ!」

「えーッ!」

「ええーッ!」

 万三郎たち三人も揃って驚きの声を上げた。

 みどり組とチーム・スピアリアーズの再会の瞬間だった。


十九

「『チーム・インフェリアーズ(劣等者たち)』と改名してゼロから再出発しようと思っていたら、この騒ぎだ。優れたお前らがニューヨークで活躍している間に、無能な俺たちができることは何かと考えていたら、帰国後、優れたお前らが伊勢に向かうと新渡戸部長から聞いたから、それならこの卑しい私めが先に露払いして、お傍のお世話もろもろの段取りを、何かと気を利かせてやっておこうと、小賢しい浅知恵を働かせてお待ち申し上げていたと、こういう訳だ」

 運転席から後ろを振り向いて得意気に説明する祖父谷義史から目を逸らして、万三郎は思わず顔をしかめた。

 助手席の四葉京子が祖父谷を見やって言う。

「嫌味ちゃうねん。高速学習の副作用やねん」

 そうなのか、それはそれで痛々しい……と思った万三郎の表情は、結果としてはあまり変わらない、苦々しい顔だ。

――なんでまた、正反対の性格に……。

 気を取り直して万三郎は訊く。

「で、この嵐の中、高速道路を通ってどこへ行こうとしてたの?」

 今度は後部座席、万三郎の隣に座っている綾目小路奈留美が何を分かりきったことを、という表情で答える。

「ここですわよ。他にどこがあって?」

「ここ? 土砂崩れの現場に何しに?」

「何しにって、もちろんあなた方を助けに来たのですわ」

 京子が万三郎の方を振り返って説明する。

「この子は副作用で、妙に予知能力が研ぎ澄まされてきたみたいやねん」

 奈留美も祖父谷同様、どや顔で言葉を継いだ。

「土砂崩れで万三郎たちの車が立ち往生する光景が浮かんだのですわよ」

 万三郎も驚いたが、祖父谷も自分の驚きを表現せずにはいられない様子だった。

「奈留美がそう言うので、半信半疑で来てみたら本当にいるからびっくりしたんだ。奈留美の予知は精度が高い」

 万三郎が訊く。

「でも、助けるって、どうやって? この軽自動車、四人乗りだろ?」

「四人しか乗れない車がこの世にあるなどとはわたくし、思ってもみませんでしたので、そこまでの予知はちょっと……」

 奈留美にかぶせるように、祖父谷が饒舌に説明する。

「この車はレンタカーなんだが、負け組の俺たちには、充分な出張予算が下りないんだ。名古屋までみんなして新幹線で来たもんだから、あとおカネがなくなって……」

 万三郎は祖父谷のキャラクターの変わりように戸惑っていた。

「よく新幹線、動いてたな」

「非常事態宣言が出るぎりぎり前やってん。判断が早いやろ。いや、そんなことより万三郎、奈留美の言うことを聴いてやってよ」

 京子が奈留美を急かす。

「ええ、万三郎。あなた方三人が、この庶民的な四人乗りの車で伊勢神宮の内宮に到着するのが見えてよ」

 奈留美の言に、万三郎は首をひねった。

「四人乗りの車に俺たち三人もどうやって……?」

「いや、中浜。劣った俺たちが優れたお前たちにこの車を明け渡すから、この車で内宮に行って、俺たちが足元にも及ばないお前たちの優れた能力を存分に発揮していただきたく、愚見を申し上げているということだ」


二十

 祖父谷のへりくだり方は、気持ち悪かった。

「祖父谷、じゃあお前らは?」

「俺たちは、分不相応ながら、お前たちの優れたお車に乗り換えて、手前のインターチェンジまで戻って、一般道経由で、あらためて微力を尽くしに馳せ参じ候……という段取りだ」

「いや、祖父谷。それこそ俺たちが手前のインターまで戻ろうとしてたところだったんだ」

「中浜、お前たちは急がなければならんだろう。暗くなる前に、そして嵐がこれ以上ひどくなる前に内宮に着いて、ワーズたちを率いてグレート・ボンズを作るんだ。お前たちじゃなくちゃいけないんだ。劣った俺たちでは駄目なんだよ」

 祖父谷が、今までとはうって変わって、悔しさに表情をゆがめて万三郎をけしかけた。

「祖父谷……」

「この車で戻れば、向かい風でも十五分以内に伊勢西インターチェンジだ。回り道して一般道で内宮に向かうよりはるかに速い。決断しろ、中浜!」

 その時、向かいのピックアップトラックの杏児がライトをパッシングしてクラクションを三回鳴らした。

 祖父谷が言う。

「ほら中浜。三浦も急げと言っている」

「……」

「俺たち役立たずはお呼びじゃないんだよ。お前たちヒーローがきちんと活躍しないと、地球がかわいそうだろう? あいつらを呼べよ、中浜。おい、レディース、雨風ひどいけど、向こうに移る準備できてるか?」

 万三郎は思わず祖父谷を遮る。

「祖父谷! お前たちは、役立たずじゃない。俺、帰りの飛行機でお前たち三人のことを考えてた。お前たちスピアリアーズがいてくれたから、俺たちみどり組は発奮できた。負けたくないと思ったから、英語力を高めることができた。ニューヨークでの成功は、もとをただせばお前たちがいてくれたゆえの結果だと本当に思ったんだ。お前たちと競い合えたことに、叶うなら礼が言いたいと、機内で考えていた。地球の一大事が起こるより前に、こうして出会えたのが奇跡のようにありがたい」

 万三郎はそう言うと、隣にいる奈留美に右手を差し出した。

「な、何です?」

 当惑する奈留美のなよやかな手を取った。

「お嬢。よくこの土砂崩れの現場に駆けつけようと言ってくれたね。感謝を言い表す言葉が見つからない」

「そう言っていただくだけで光栄でございますわ」

「お礼に、これからひと仕事終えたら、ティートータラーでごちそうするよ。ハンバーグの食べ方、今度お嬢にちゃんと教えるから」

 すると奈留美は握手していない方の手で口元を隠して笑った。

「ハンバーグはもうマスターしましてよ。それより先日、肉まんという得体の知れない食べ物が出ましたの。どこからナイフを入れてよいのやら」

「じゃあ、それを教えてあげる」

「そう。では頼みましたよ」


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