(21-06-10)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー 第二十一章 祈り(6)~(10)

 辺りの空間全体が、ぐにゃりとゆがむ。自分の足で立っていた雉島が吹き飛んだ。彼が放射していた念波のエリアも一瞬で消滅した。打ち破られたばかりの恵美の念波のエネルギーも雲散霧消した。そして、恵美も、ちづるも、杏児も、古都田も、新渡戸も、スローモーションのように吹き飛んだ。

 皆が吹き飛ばされた方向と反対側に、万三郎とユキが立っていた。二人は、さっき杏児がちづると一緒に念波放射した時と同じ、並んで片手の手のひらを立てて真っ直ぐ前へ伸ばしたポーズを取ったまま、そのパワーの大きさに自ら慄然としていた。

「これが、杏児が言ってた、ユキを救った時の感覚か……」

「どうしよう万三郎、みんな吹っ飛んじゃったよ……」

 二人はステージの上を駆けて、ステージ下のずっと向こう側へ吹き飛ばされた人たちの方へ駆け寄った。周りにいた【hope】たちが巻き添えを喰って倒れ、それを他の【hope】たちが遠巻きに見守っていた。

 吹き飛ばされた者は皆、何が起こったのかにわかに理解できず、立ち上がろうともしていない。

「杏児、大丈夫か?」

 とりあえず上半身を起こしてこちらを向いた杏児に、万三郎は声をかける。

「万三郎、今の、お前か?」

「ユキと力を合わせた。ごめん、こんなにパワーがあるとは……」

 杏児はそれを聞いて立ち上がった。

「そうか、やっぱりお前はすごいな。ちづる、大丈夫か?」

 ちづるも、恵美も、古都田も起き上がろうとし始めた。とりあえず四人は無事のようだ。

 新渡戸は、近くに転倒したまま、慌てて棒を探したが、見つからず、しかたなく手ぶらで立ち上がる。【hope】たちの輪が広がる。

【hope】たちの合い間から古都田が厳しい表情で、その新渡戸の挙動を目で追いつつ言った。

「新渡戸くん、分かっているだろう? ことだまワールドで私を殺すことはできない」

 地方の【hope】たちも、さすがにKCJのトップである古都田社長と新渡戸人事部長の顔と名前は知っていたから、そのただならぬ状況を察して、二人の間にいる【hope】たちは、すっと両側に分かれた。

 新渡戸は古都田をまっすぐ見据えて言う。

「古都田さん、あなたの肉体は東京のどこにあるんです? リンガ・ラボにはなかった。石川さんもいない」

「東京に身体を置いて伊勢まで来ているのだ。すぐに戻れない状況で、無防備な場所に肉体を放置しておくほど私は愚かではない」

 その時。

「きゃあ!」

 女の叫び声が聞こえ、皆は顔をそちらに向けた。叫んだのはステージ上のユキだった。男の腕が後ろからユキの首元に絡められ、同時に手の自由を奪われていた。そして万三郎も、別の男に後ろから羽交い絞めにされていた。さらにもう一人の男がステージに上がって来る。

「雉島さん、どうなってるんすか! スピーカー越しにごちゃごちゃ聞こえるけど一向に指示が来ないんで、心配して来てみればこの騒ぎだ。こいつらETのせいですか」

 赤黒い頬に彫られたトレード・マークの「!」が、かがり火に照らし出されている。

 【bad!】だった。

 そして、ユキを【sinisterシニスター】(不吉)が、万三郎を【evilイーヴル】(邪悪な)が、それぞれ後ろから羽交い絞めにしている。


「内宮からは一向に【hope】どもが打ち上がらなくなった。どうなってんだ、こいつら地球がどうなってもいいのか」

「そうだった、大事なことを……」

【bad!】がステージをぶらぶら歩きながらそうボヤくのを聞いて、雉島の再度の攻撃に備えて身構えていた恵美はハッと我に返り、三人の救国官に宛てて叫んだ。

「私が聞いてきた政府の最新情報では、アポフィスの衝突予定時刻は、午前五時十四分十秒。私のコンピューター試算では、人類が最大限の【hope】を飛ばせたとして、衝突回避可能なタイムリミットは、午前零時零分、真夜中です。真夜中までにグレート・ボンズが形成されないと、ジ・エンドです」

 意図した三人の救国官の耳には恵美の情報は確かに届いたが、最初に口を開いたのは、三人ではなかった。

「へっ、夜十二時で地球がジ・エンドか。シンデレラよりはるかにスリリングだな」

 恵美の話を聞いていた【bad!】がおどける。そして、自分の腕時計をひけらかすように見せながら「おっ!」と言った。

「俺のロレックスが、ただ今から、午後、十一時、ちょうどを、お知らせします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン!」

「おいッ、放せ!」

 万三郎は叫びながら【evil】による拘束を解こうと力の限り暴れた。ユキも何とか逃れようと身体をよじる。

「ほんとに間に合わなくなる。お願い、放してッ!」

【bad!】は二人に向かって叫んだ。

「黙れコラァ!」

 インカム・マイクをつけているので、その凄みのきいた声はステージ両脇のスピーカーから辺り全体に鳴り響いた。タイムリミットを聞かされてざわついていた【hope】たちは、シーンと静まり返った。それが心地良かったようで、【bad!】はフッと笑った。その小さな笑い声さえ、マイクが拾ってスピーカーからノイズとなって不気味に流れた。雉島から、ワーズは滅びないと聞かされているのだろう、【bad!】は上機嫌で脅し続ける。【bad!】はユキの前に立つと、いきなりユキの髪をつかんで顔をぐっと上向けた。

「おい、福沢由紀さんよう。ホテルで蹴りを入れられたことも忘れちゃいねえが、以前、焼き鳥屋でも世話になったなあ。あんときゃ、さすがの俺も一目置いたその胸の鴨も、いい具合に焼けて黄色くなってるぜ。七味かけて、喰ってやろうか、え?」

 ユキは恨めしそうに【bad!】を見上げる。

「手を離して。あなたは、KCJ、クビよ」

【bad!】の眉毛がピクリと動いて、切れ長の一重瞼が細くなった。ユキは【bad!】のその目の動きから、これからどうなるのかをうかがい知ろうと、自らの目を見開いて身じろぎひとつしなかった。三秒の後、【bad!】はユキの髪をつかんでいた手を離し、またフッと笑った。

「何、俺、クビだって?」

息を飲んで見守っている【hope】たちに、スピーカーを通じて、そのノイズとセリフが伝わった。と同時に、【bad!】は、近くにあったかがり火の三脚台に、思いっ切り蹴りを入れた。

 バキッ!

「ひっ!」

 ユキは思わずビクリと身体を委縮させる。かがり火は三本脚ごと、ステージから下へ分解しながら飛び、火のついた薪が飛び散る。その辺りにいた【hope】たちが悲鳴を上げながら飛び退いて、大騒ぎになった。

「クビ、上等じゃねえか」


【bad!】は続いて万三郎の前に立つ。

「おい、中浜、中浜万三郎。俺はクビだってよ。クビになりゃあ、ETも何もあったもんじゃないわなあ。仕事の上下関係がなけりゃ、ことだまワールドじゃあ、俺にひれ伏すしかないわなあ。え?」

 万三郎の目の前に立った【bad!】は、万三郎の鼻をつまんだ。万三郎は顔を横に強く振って言う。

「やめろ!」

 そう言うそばから、【bad!】はまた万三郎の鼻をつまんだ。

「放せって!」

 三度、万三郎の鼻を強くつまみながら、【bad!】が腕時計を見ておどける。

「あっ、十一時、三分、ちょうどを、お知らせしまーっす!」

「頼む【bad!】……時間がないんだ」

 万三郎を羽交い絞めにしている【evil】が笑って万三郎の口真似をした。

「頼む【bad!】……時間がないんだ……ケッ!」

【bad!】は万三郎に向き直って、【evil】に言った。

「ようし、放してやれ」

【bad!】の命令に従って、万三郎は解放された。

「そら、隣のシンデレラちゃんをまず助けろ、行け」

【bad!】がにこやかに顎で示す先の、ユキに向かって万三郎は一歩を歩き出すと、【bad!】はすかさず足を出し、それにひっかかって万三郎は勢いよく倒れた。

「ヒーッ、面白え! 馬鹿だねーこいつ」

【evil】は手を打ってあざ笑った。万三郎は膝をついて立ち上がる。その時に、ユキに目配せした。ユキは首元を抑えられているが、目で心得たと返事する。

 立ち上がって一歩歩いたところへ、また【bad!】が足を出した。というよりほとんど万三郎の足を蹴っているに等しい。万三郎はつんのめって倒れる。【evil】が手を打って笑う。

 万三郎は立ち上がる瞬間、手のひらをグッと【sinister】へ向け、「ふん!」と言った。とたんに【sinister】は、一メートルほど跳ね飛ばされる。その衝撃でユキはその腕からようやく逃れた。と同時に、万三郎に駆け寄り、二人して揃って手のひらを【bad!】に向けた。

「むん!」

【bad!】は数メートル、ステージの向こうの端まで飛ばされ、そこにあった別のががり火の脚に激突し、かがり火を破壊して転がった。だが【bad!】は、その場にあった、火が燃え移った三本脚の棒の一本を手に取ると、すぐに起き上がって、すごい勢いで二人の元へ向かってきた。

「おのれ、殺す!」

 凄まじい形相で【bad!】は、先に火のついた棒を振りかぶる。万三郎とユキは、恐怖に目を見張りながらも、再び手のひらを【bad!】に向ける。

 その時、鋭い大声が響いた。

「やめろ、それまでだ!」

 雉島の声だった。その声で【bad!】は、振りかぶった棒を渾身の力で振り下ろす直前で、ギリギリで耐えた。止めた代わりに声が出た。

「うおおお!」


「お前ら、もう、いい」

 雉島は【bad!】たちにそう言いながら、気合いを入れて再び自力で立ち上がる。

「雉島さん、やらせろよ!」

 火のついた棒を振りかぶったまま、手持無沙汰になって不満を口にした【bad!】を、雉島は睨みつける。

「お前らは破壊することしか能がない。【bad!】、その頬に彫ってあるのは、『頭が悪い』という意味のbadなのか? もう少し賢くなれ」

 並み居る【hope】たちの前で侮辱され、【bad!】は雉島に怒鳴り返した。

「なんだと、もう一度言ってみろ」

 雉島は一、二度足を踏み鳴らし、車椅子なしでも、気力で歩けることを確認すると、顔を上げて【bad!】に言った。

「古都田に代わり、俺がこの世界を治める時が間もなくやって来る。【bad!】、そんな今、俺に歯向かうことが賢いことなのかよく考えろ。少しは新渡戸を見習え。今のお前の馬鹿さ加減じゃあ、お前が殴ろうとしているそこの若造たち以下だ。頭の悪い奴ほど、安易に暴力に頼ろうとする。そんなことじゃ、新しい時代のETにはなれんぞ」

 そこまで言われて、【bad!】は見事に何も言い返せない。パチパチと燃える棒をだらりとぶら下げ、わなわなと震えたまま、ステージの上に立ち尽くしていた。

 雉島が振り返ると、恵美が警戒して構えている。雉島は恵美の顔にしばらく見入って、それから静かに口を開いた。

「今日まで、辛く、つまらん人生だったろう。それでもまだ生きたいか。俺と一緒に、来ないか」

 恵美は質問の意味がよく分からず、表情を緩めないまま、かすかに首を横に振った。

「とにかく……とにかく私たちの邪魔をしないで」

 雉島は目を伏せて少しだけ笑った。

「そうか、分かった。じゃあ生きろ」

 それから視線をその向こうにいる古都田に据えた。

「古都田、お前の部下たちの働きで、もし滅亡を免れたとしても、このことだまワールドが残っている限り、俺は必ず奪回しにくる。お前との闘いはその時までお預けだ。もしその時が来ればの話だがな。おい、新渡戸、【bad!】、行くぞ」

 雉島は、身を翻すと、自分の足でスタスタと歩いてステージの方に戻って行く。【bad!】がステージ上から訊いた。

「ど、どこへ」

「地中に潜って、こいつらがどこまでやれるか、高みの見物……じゃない、低みの見物といこう」

「【-less】たちは?」

「放っておけ」

「手下どもがいるんですが」

「地下に潜るよう伝えろ」

 新渡戸は、古都田と恵美の横をすり抜け、雉島について行く。古都田は、その新渡戸の背中に向かって声をかけた。

「新渡戸くん、今なら私は君を許す。戻ってきなさい」

 途端に新渡戸は険しい顔をして振り向いたので、恵美が身構えた。

「古都田さん、そう言われて戻る程度の覚悟であなたを殴ったとお思いか。アポフィスが地球に衝突してほしいとは私は思ってはいないが、もし何もかも滅びるのなら、それは致し方ない。だが、もし衝突を免れて、あなたが社長として、ことだまカンパニーが存続するなら、あなたや石川さんによる人体実験を、私は命を賭して阻止する。たとえ雉島さんに味方してでも、ことだま裏ワールドに沈むことになっても。次に会うときには、どちらかが消える時だ」

 新渡戸はそう言い残すと、古都田に背中を向け、雉島の後を追ってステージに上がって来た。

「新渡戸さん……」

 新渡戸は万三郎とユキを交互に見ながら口を開いた。表情だけ見ればいつもの優しい部長の笑顔で、万三郎は胸が締め付けられる思いがした。

「私は君たちが実験台になるのを阻止できなかった。すまない。だが、君たちを最後の検体としたい。ここは、私も含めて、生身の人間が来る世界ではない」

 そう言い残すと新渡戸は、歩みを再開し、雉島より先にバックステージの方へ歩いて行く。【bad!】に蹴散らされなかったかがり火の光が届かなくなる辺りで、新渡戸の姿はスーッと闇に消えていった。

 雉島は、新渡戸を追っていた万三郎とユキの視線が戻って来ると、低い声で二人に言った。

「地球を、守って見せてみろ」

 雉島は【bad!】たちを引き連れて、新渡戸の後を追い、悠々とステージ後方の闇に同化していった。後は倒されなかったかがり火の松明が時々バチンとはぜるのみだ。


 空気が変わった。

 息を飲んで成り行きを見守っていた【hope】たちが一斉に安堵のため息をつき、ざわめき始める。先ほどの恵美の言葉を間近で聴いていた一人の【hope】が叫んだ。

「時間がない! 十二時までにぃー、グレート・ボンズ!」

 途端に波が伝わって行くように、その言葉の繰り返しが始まる。源を同じくするワーズであるため、意思の伝播が恐ろしく早い。たちまち、大合唱となった。

「十二時までに、グレート・ボンズ! 十二時までに、グレート・ボンズ!」

 ステージ上から万三郎とユキは一面の合唱隊を見回した。

「素晴らしく楽観的な人たちだ。こちらまで勇気付けられる」

 万三郎をユキが急かす。

「万三郎、急ご」

「ああ」

 そこへ、杏児とちづるがステージに駆け上がってきた。

「万三郎! ユキ! 再開しよう」

「二人で作業するのか」

「ああ。こっちのカタパルトを使うよ」

 その時、ステージに古都田と恵美が上ってきた。

「社長……」

 ユキは、古都田が精神的にも肉体的にもかなりの疲労に襲われているのをひと目で悟った。新渡戸に殴られた後頭部から流血しているのを、恵美のハンカチで押さえたのだろう、白いハンカチが赤黒く染まっている。しかし、おそらくそれ以上に、新渡戸の反抗にショックを受けているのだろう。目を赤く充血させていた。

 古都田の手を引く恵美の目がユキと合った。

「ユキさん、私、社長と一緒に東京へ帰ります」

「恵美さん、今ここでレシプロから覚醒したら、東京で目覚めるのでは」

 ユキの問いに恵美が微かに首を振る。

「離れすぎてるから無理なの。ヒューマンが、ことだまワールドの中で長距離移動するには、少しの時間と膨大なエネルギーが必要よ。かなりの念波を放射したから、古都田社長の残りのエネルギーを考えたら、今帰らないと手遅れになる。それに、新渡戸さんが先に東京に帰って、社長のカプセルを見つけ出したら大変なことになる」

 万三郎が口を挟んだ。

「社長の肉体はリンガ・ラボになくても、恵美さんやちづるちゃんの身体はリンガ・ラボにあるんですよね」

 恵美は頷く。

「それを新渡戸さんに操作されたら、私やちづるさんは、リアル・ワールドに帰れなくなる……」

「分かりました。急いで東京にお帰り下さい」

 古都田が言う。

「中浜……」

 万三郎は古都田を見つめた。

「私を、恨んでいるか」

「……」

 万三郎は言葉に窮した。が、やっとの思いで答える。

「恨むべきことなのか、そうでないのか、地球を救った後で、じっくり考えます」

「福沢くんは」

 ユキはしばらく下唇を噛んで、ようやく答えた。

「恨みは……あります。ただ、それが古都田社長へのものなのか、他の誰かに対して抱くべきものなのかは、地球を救った後で、じっくり考えます」

「……そうか」

「社長、そろそろ……」

 恵美が促す。

「うむ。私は……」

 万三郎とユキ、そして離れたところでちづると一緒に【hope】を打ち上げようとしていた杏児が、古都田の方を見た。

「私は、後悔はしておらん。君たち救国官がニューヨークに行かなければ、そして今ここにいなければ、もう、人類に為す術はなかったはずだ」

 そう言いながら、古都田は自分で自分のしてきたこと、自分の立場を反芻しているようだった。その証拠に、次第に自信を回復しつつあり、口調に力がこもってきた。

「そうだ。救国官たち! やはり最後には、君たちが日本を、そして世界を救うのだ。頼むぞ」

 古都田の熱のこもった訴えに、万三郎とユキは頷いた。

「ベストを、尽くします」

「私も」

 杏児も口を開いた。

「社長、恵美さん、必ずまた、お会いしましょう」

「うむ」

 ちづるに、カプセルは責任を持って守るからと伝えた後、恵美は、ほとんど泣きそうな顔で杏児に笑顔を向けた。

「さようなら。またね」

 恵美は、着物の袖でそっと目を押さえてから、気を取り直して、古都田の背中をそっと押す。そうして、古都田と恵美は、ことだまワールドの夜の闇に消えていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?