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ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第15回

前回から読む)

ナンナ 翌日、わたしは第九時[午後三時ごろ]に目を覚ましたの。どういうわけか知らないけれど、わが教区の鶏殿[学士候補生のこと]は、朝早くに部屋を出ていったらしかったわ。正餐のために食堂に行ったわたしは、夜な夜なカファルナウムを訪れていた修道女たちをこの目にして、ほくそ笑まずにいられなかった。けれど、ほんの数日のうちにみんなと仲良くなってしまうと、わたしがほかの人たちを覗いていたのと同じように、ほかの人たちもわたしを覗いていたことが分かったの。つまり、わたしと学士候補生の道ならぬ関係をね。それはともかく、わたしたちが正餐を終えたあと、ルター派の修道士が説教壇に登ったの。雷のように轟くこいつの声は衛兵にこそお誂え向きで、カンピドーリオからテスタッチョまでだって聞こえそうなほどだった。この男が修道女たちに授けた説教は、ディアナの星[明けの明星。ここでは女神の処女性を暗示している]すら改宗させかねない代物だったのよ。

アントーニア そいつは何を話したの?

ナンナ だいたいこんな話だったわ「自然にとって何よりも忌わしいのは、時間を無駄遣いする人間たちを眺めることである。なぜなら、自然がわたしたちに時間を与えたのは、わたしたちが時間を、自然に慰みを与えるために費やすことを望んだゆえなのだから。自らの被造物が育ち殖える有り様を眺めることは、自然にとって大きな喜びであり、とりわけ、老年に達した一人の女が、深い満足とともに「世界よ、神とともにあれ」と口にするところを見たときなどは、何にも増して嬉しくなるものである。世の多くの女性たちのうち、自然がことさら喜びをもって愛するのは、愛神クピドを砂糖漬けにする優しき修道女たちであり、ゆえに、自然から修道女たちに与えられる悦楽は、世俗の女たちに与えられるそれよりも、千倍も甘いといえよう」。かくしてこの男は、修道士と修道女のあいだに生まれた子供たちは主やイエス・キリストの親戚に当たるのだと、声高に断言するにいたったの。説教はやがて、蠅の愛やら蟻の愛やらにまで及び、自らの口から出た言葉はすべて真実の口から出た言葉であるとでも言いたげに、修道士の語りはますます熱を帯びていったのよ。香具師の口上に耳を傾ける暇人どもより、このほら吹き野郎の話に聴き入る善良な修道女たちのほうが、よっぽど熱心で真剣だったわ。締めくくりに、手のひら三つ分ほども長いガラスのアレ(なんのことだか分かるわよね)に祝福を捧げ、男は説教壇から降りてきた。それから、水をがぶ飲みする馬のようにワインで喉を潤して、つる茎をむさぼるロバのような貪欲さでお菓子をがつがつ平らげたのよ。初ミサを捧げた司祭が親族一同から贈られたり、嫁に行く娘が母親から与えられたりするものよりも、この修道士がわたしたちから受け取った贈り物のほうがずっと多かったくらいなの。こうして男が去っていくと、修道女たちはめいめいに、あれやこれやの由無し事に精を出し始めたわ。だからわたしも、自分の部屋へ戻ったの。すると、いくらもたたないうちに、誰かが扉を叩く音が聞こえたのよ。扉の向こうで待っていたのは、わたしのもとに遣わされた、学士候補生の小姓だった。少年は宮廷人風のお辞儀をしてから、布に包まれた品物と一通の手紙をわたしに差し出したの。丁寧に折りたたまれた手紙はまるで、三つの角を持つ羽のよう、あるいは言い方を変えるなら、矢の先に取りつけられた矢尻のような形だった。おもてに書いてあったのは……一つ一つの言葉まで、覚えているかしら……待って、そう、そう、こんな文句が書いてあったのよ。

 涙で書かれ、吐息に乾きし
 貧しく飾りなきわが言葉が
 太陽の手に渡り、天国へと昇りますように

アントーニア あら、いいじゃないの!

ナンナ 手紙の中身は、果てしなく長ったらしい大演説だったわ。まず、教会で切り落とされたわたしの髪の毛から話が始まるの。彼はそれを集めて紐の形に結い、首飾りにしたんですって。わたしの額は空よりも晴れやかであり、まつ毛はあたかも、あの黒い木材で作られた櫛のよう。わたしの頬は、お乳やケルメス[真紅の染料]にも嫉妬を起こさせてしまうのよ。歯はひと連なりの真珠に等しく、唇はザクロの花と見まがうほど。腕や手にもずいぶんな賛辞を連ね、爪さえも称えていたわ。わたしの声は「天高くに、栄光あれ」の歌声とそっくりなのね。胸までたどりつくと、これはもはや奇跡だと褒めちぎり、そこには温かな雪のごとき二つの純白な林檎が実っていると仰るわけよ。ついに話は泉におよび、自分は厚かましくもそこから水を飲んでしまったと告白したあとで、泉から滴り落ちていたのは極甘のシロップやマナであり、そこに生える毛は絹のそれであったと主張するの。メダルの裏側にかんしては、口を閉ざしていたわ。というのも、その場所を崇めるために、ほんのわずかでも言葉を連ねようとするならば、ブルキエッロ[一五世紀フィレンツェで活躍した諷刺詩人]をこの世に甦らせる必要があるからだと言い訳していたわね。そうして、わたしの宝を彼の自由にさせてやったことに、「幾世紀にもわたる限りなき」感謝を述べ、すぐにまた会いにくると誓ってから、手紙は終わったの。「わが愛しき心よ、さようなら」と書かれた下には、ちょうどこんな言葉が記されていたわ。

 あまりにも強き愛に衝き動かされ
 この手紙をしたためた
 あなたの美しき胸に生きる男より

アントーニア そんなにも素敵な文句を贈られて、スカートを捲り上げない女なんているかしらね?

ナンナ わたしは便りを読み終えたあと、手紙を折りたたみ、キスをしてから胸のあいだにしまったの。布に包まれた品を手にとると、それはお友だちがわたしに贈ってくれた、たいそう雅やかな祈禱書だったわ。というか、正しくは、お友だちがわたしに贈ってくれた祈禱書であると、わたしが思いこんだところのものだったわ。その本は、愛を意味する緑色のビロードに包まれ、絹のリボンで結ばれていた。わたしは微笑みを浮かべながらそれを手に取り、うっとりと見惚れ、こんなにも美しい書物は見たことがないと称えながら、小さな祈禱書にずっとキスしていたのね。暇乞いをする使者に向かって、わたしの代わりにご主人さまに口づけするよう、わたしは言づけたわ。それから一人になると、「マニフィカト」[「わが魂は主をあがめ」で始まる聖母マリアの賛歌]を読むために小さなその本を開いたのよ。かくしてわたしは、賢明なる修道女の流儀に則りお愉しみに耽る女たちを描く、山のような挿し絵に埋めつくされたページを目にしたのよ。底のない籠から自分のものを突き出して、途方もなく大きなサヤマメの先っぽに縄をつたって降りていこうとしている女の姿を見たときには、どっと笑ってしまったわ。あんまり大きな声で笑ったものだから、いちばんの仲良しになった修道女が、わたしのところに駆けつけてきたくらいよ。彼女は言ったわ「いったい何を笑っているの?」急かされるまでもなく、わたしは全てを打ち明けた。そして彼女に本を見せ、二人で楽しく挿し絵を眺めているうち、わたしたちはそこに描かれている仕方を試してみたくなったのね。そのためには、ガラスの柄に助力を請うよりほかに手はなかったわ。わたしのお仲間が、股のあいだにガラスの柄をしっかりと据えると、それはまるで誘惑に向かって屹立する男のアレのように見えたのよ。わたしは彼女の肩に両足を乗せ、サンタ・マリア橋で立ちんぼをしている女たちの一人のように、ガラスの柄へ身を投げたの。彼女はそれを、あるときは上手に、あるときは不器用にわたしのなかへ打ちこんできたけれど、じきにわたしは勘所をつかまえたわ。しばらくして、今度は彼女がさっきまでのわたしの姿勢で構え、彼女はケーキのお返しに、わたしからパイを受けとったのよ。

つづく

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