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ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第16回

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アントーニア ねぇ、ナンナ、あなたの話を聞きながら、わたしの身に何が起きているか、あなた分かる?

ナンナ いいえ。

アントーニア 薬のにおいを嗅いだ人の身に起こるのと同じことよ。薬を飲んだわけじゃないのに、二度も三度もお通じがきちゃうの。

ナンナ あっはっは!

アントーニア あなたの話がひどく真に迫っているものだから、トリュフもチョウセンアザミも食べないうちに、わたし催しちゃった。

ナンナ あなた、わたしの仄めかすような言葉遣いを責めたくせに、自分だって、小さな女の子になぞ掛けをするときのような喋り方をしてるじゃないの。まるで、こんな風に言ってるみたいよ「わたしはガチョウのように白いものを持っています。けれど、それはガチョウではありません。さて、何でしょう?」。

アントーニア あなたのお気に召すように喋ってるのよ。だから曖昧な言葉を使うの。

ナンナ それはどうもご親切に。それじゃ、仄めかしたっぷりのお話をつづけましょうか。しばらく二人でおふざけを楽しんだあと、訪問客と面会するための格子窓と回転式の受付口を見に行こうという気になったのね。けれど、そこにはもう、わたしたちのための場所はなかったわ。というのも、誰もかれもが、陽の光を浴びに駆けていくトカゲのように、面会所に殺到していたからなの。あのときの教会は、参詣聖堂への行列が練り歩く日のサン・ピエトロやサン・パオロのようで、修道士や兵士までもが謁見の名誉に与っていたのよ。しかもね、信じられるものならどうぞ信じていただいて構わないけれど、ヤコブとかいうユダヤ人が、すっかりくつろいだ様子で女子修道院長とお喋りしているところさえ、わたしはこの目で見たんですから。

アントーニア 腐った世の中ね。

ナンナ 同感よ。こんな世界、さっさとお暇するに越したことはないわ。わたしはそこで、ハンガリーの牢獄に入れられていた、あの哀れなトルコ人のうちの一人も見かけたのよ[一五二六年、ハンガリーのモハーチにて、オスマン帝国軍とハンガリー軍が衝突した]。

アントーニア そいつ、キリスト教に改宗していたはずよね。

ナンナ ちらりと見かけたきりだから、洗礼を受けていたかどうかまでは知らないわよ。それにしても、修道女たちの生活について、一日で語って聞かすと約束するなんて、わたしの考えが浅はかだったわ。だってあいつらは一時間のうちに、一年かかっても話しきれないほどのことをやらかすんですから。日も暮れかけてきたことだし、ここからは話をつづめて、大急ぎで駆けていくわよ。お腹はぺこぺこだというのに、ほんの少し食べて飲んだらすぐに旅路へと戻っていく人のようにね。

アントーニア ちょっと言わせて。あなた始めに、この世はもはや、あなたが若かったころとは違うって言ってたわよね。わたしはてっきり、あなたが若かったころの修道女たちについて、教皇さまの伝記に書いてあるような話を聞かされるものとばかり思っていたのよ。

ナンナ もしもそう言ったなら、それはわたしの間違いね。たぶん、今の世の修道女はもう、遠い昔の修道女とは違うと言いたかったんじゃないかしら。

アントーニア なら、間違えたのは舌であって、心ではないわけね。

ナンナ どっちだって構やしないわ、わたしはもう忘れちゃったんだから。それより、次の話をよく聞いて。とっても大事なことなのよ。つまり、わたしは悪魔に唆され、大学からやってきたとある修道士に荷鞍を置かせ、学士候補生にそれを見られてしまったの。運命の女神の思し召しにしたがって、この学生はちょくちょくわたしを、修道院の外へ夕食に連れ出していたのよ。わたしがすでに、学士候補生と結ばれていることも知らずにね。あの日の晩も、夕べの祈りが終わったあと、突然にやってきてこう言ったの「僕のかわいいお嬢さん、僕の誘いを聞き入れて、どうかいっしょに来てください。ある場所にきみを連れていきたいんだ。きっと、素晴らしく楽しい時間を過ごせるからね。きみはそこで、天使の音楽を聴くばかりか、とても優美で笑いを誘うお芝居を目にすることになるはずだよ」。頭の中が気まぐれでいっぱいだったわたしは、学生に助けられ、ためらうことなく服を着替えたわ。修道服を脱いでしまい、最初の恋人がわたしのために仕立ててくれた、香水の染みこんだ少年用の服に袖を通したの。赤い羽根飾りと金のブローチに飾られた緑の絹の帽子をかぶり、外套を肩にかけ、わたしは学生と出かけたわ。石を投げれば届く程度の距離を歩いたあとで、歩幅の半分ほどの隙間しかなく、突き当りが行きどまりになっている長い小道に、わたしたちは入っていったの。学生はそこで、細く低く口笛を吹き鳴らしたわ。すると、誰かが慌てて階段を降りてくる音が聞こえ、それから戸口が開いたのよ。戸の内側には下男が控えていて、白い蝋燭に火の灯された大きな燭台を掲げていた。わたしは学生に手を引かれ、燭台の灯りに導かれつつ階段を登っていった。やがて、この上なく入念に飾りつけされた広間へとたどりついたわ。燭台を持った下男は、部屋の帳を持ち上げつつ、わたしたちに向かってこう言ったの「閣下、奥様、どうぞお入りください」。そうしてわたしたちは中に入った。わたしが姿を現わすなり、部屋のなかの人たちは、まるで祝福を捧げる説教師に向き合う聴衆のようにして、帽子を手に持って立ち上がってみせたのよ。そこは賭博場にも似た、聖なる性のあらゆる交合が執り行われる隠れ処だったの。あらゆる種類の修道女や修道士がたむろしている様子は、ベネヴェントの胡桃の木に、あらゆる世代の魔女や魔法使いが集まっているようでもあったわね。めいめいが腰を下ろすと、愛くるしいわたしのお顔をめぐる囁きばかりが聞こえてきたの。そうなのよ、アントーニア。今のわたしは見る影もないけれど、あのころはわたし、きれいだったのよ。

アントーニア そりゃそうでしょう。年とった今でもたいへんな美人なんだから、若いころはさぞかしきれいだったんでしょうよ。

ナンナ 褒めそやされていい気分になっていたところへ、音楽の名手たちが現われ、わたしは魂まで揺さぶられてしまったの。四人の歌い手が一冊の本を覗きこみ、もう一人、銀の鈴を鳴らすようにリュートを奏でる男性が、四人の声に合わせてこう歌った「神のごとき、晴れやかなるその瞳よ……」。そのあとで、フェッラーラの踊り子が部屋に現われ、目を瞠るほどに優美な舞踏を披露したの。わたしたちは感嘆の声を上げずにはいられなかった。ノロジカだって、彼女の跳躍は真似できそうになかったわ。あぁ、何という巧みさ、何という優美さだったことでしょう。アントーニア、あんなものを見たあとではあなただって、ほかの踊りを見ようという気は起きないはずよ。左足を鶴のように折り畳み、ぴたりと真っ直ぐに止まってから、ろくろみたいにくるくると回り始めた彼女を見たときは、目の前で奇跡でも起きているのかと思ったわ。勢いよく回るうち、風をはらみ膨らんだ踊り子の服が美しい円を描いたの。それはまるで、風に吹かれる小屋の上の風見鶏のよう、もっと別の言い方をするならば、子供たちが葦の先に取りつけて遊ぶかざぐるまのようだったのよ。ぐっと手を伸ばして駆け出すと、目にも止まらぬ速さでかざぐるまは勢いよく回り、子供はその眺めをうっとりと楽しむものよね。

アントーニア 主が彼女を祝福されますよう。

(つづく)

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