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母、不快モード

2010/3/29


母のアタマがだいぶおかしいと、土曜は下の姉から、昨日は上の姉から電話をもらった。

今日母の元へ行くと、なるほどちょっと変なモード。いつもよりさらに、曜日と日にちの感覚がズレている。そこに妄想と幻視が混ざるのだけれど、さらに悪いことには、そこに呆れるほどのしっかりとした記憶や見識が入り込み、母をひどく厄介な人間にしている。

姉いわく、昨日の母は、「私、歩けなくなったらどうしよう? 誰が面倒みてくれるの? A子(私)がね、『歩けなくなったら私が車椅子押してあげるわよ』って言うのよ」などと宣うたそうな。すでに一年半以上前から、歩けないではないですか…。

「私の部屋の大きなテレビの横の本棚に、私の好きな米良さんの歌の本があるのよ」と母は言う。その大きなテレビは、私が今の家に引っ越した時
しっかり譲り受けたことを母は知らなかったっけか?

この頃の母は本当に声が小さく低くなってしまったので、「歌でもうたって声を出す練習しなくちゃ!」とスタッフに言われたらしく、母はそのお気に入りの歌の本を持ってこいと言うのだ。

本を持ってきたところで読めるわけもなく、まして歌えるわけもなく、自分の衰えを実感させられるばかりなのは目に見えている。

時々、おそらく母の病気についての知識もなく、軽々しくいろんなことを悪気なく言っていくスタッフがいるので、そのたびに母は翻弄され、動揺することになる。

思い出しては訴える、「パジャマを持ってきて!」の言葉。病棟では皆おそろいのパジャマがあてがわれていて、色は3色。入浴後に新しいパジャマに着替えさせてもらうシステムだ。

どうしても個人のパジャマを着たいというのであれば検討できないことはないと、入院の際に言われたけれど、どう考えてもそれはスタッフに余計な手間をかけさせるだけなので、母のわがままを聞きいれるわけにはいかない。

しかし他の入院患者の着ているパジャマが、母の目にはどうしても「素敵な花柄のパジャマ」に見えたりするので、説得に苦労してきた。
母の隣のお婆さんも、もちろん母と同じ病院の薄ピンクのパジャマなのに、「今日は紫いろの肌襦袢着てるでしょ? 昔お女郎でもしてたのかしら?」などと、疑わしげな視線を向ける。

母の気持ちを否定せずに、適当に流そうと「そうよねぇ、いつも同じパジャマじゃ飽きるわよね」と言うと、母は頬の筋肉を0.5ミリほど引きつらせて、憎々しげな目で私を見つめる。「フッ、人のことだと思って」と、鼻を鳴らす。

それならば、「同じパジャマじゃ飽きるので、花柄のパジャマをお揃いで買ってくださいって、病院に100万円くらい寄付してみたら?」と笑いながら言ってみると、「私より金持ちは、ここにはいくらでもいるわよ」と怒り、「そんな不愉快な話はもうやめて!」と、小さく小さく暗い声で、ぴしゃりと遮られてしまった。やめてほしいのは、こっちです…。

帰り際、私が首に巻いたコーラルオレンジのストールを、母はじっと疑いのまなざしで見つめる。「私もこれと同じの、持ってた…」と言う。それは紛れもなく私が買ったものだったので「あら、これ私のよ」と言うと、「こんな赤いの、私はしないわね」と、吐き捨てるように母は呟く。

アルツハイマーのほうが、どれだけ幸せだろうと、母を見ていていつも思う。もっといろんなことを忘れてしまったほうが、どれだけマシだろうかと、母を見ていて思う。


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