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この世が生きづらい、すべての人へ『ガールズバンドクライ』

世は、大ガールズバンド時代!

バンド、バンド、バンド……
あっちを見てもこっちを見ても、女の子たちがバンドをやっている!
一体なぜ!? 『けいおん』はもう随分昔のアニメじゃないか!

理由は知りませんが、ともかくガールズバンドアニメが来てます。とにかく来てます。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の大ヒットが記憶に新しい人も多いと思いますが、その後も『MyGO!!!!!』やら『ささやくように恋を唄う』やら、落ち着くかなと思った頃合いにじゃんじゃか出てくるんです。

そんな中、流星の如く現れ輝いたのが『ガールズバンドクライ』!
放送前は全くのノーマークだった人も多いのでは? 私もだよ!

ガールズバンドクライ

でも、蓋を開けてみればビックリ。シリーズ構成、あの花田十輝さんじゃないですか!
あの『宇宙よりも遠い場所』の! あの『ラブライブ!スーパースター!!』の! うおおおお!(清濁入り混じった感情)

しかもアニメは東映アニメーション。ちょうど『THE FIRST SLAM DUNK』や『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』でCGアニメの最先端を行くスタジオの本領発揮です。

さて、ガルクラ未視聴勢の中には、「ガールズバンドアニメってたくさんあるけど、ガルクラは何が違うのさ」と思った方もいるだろう。
そんな疑問にお答えするなら、私はこう言いたい。「キャラがいいのだ! 生き様がいいのだ!」と。

面倒くさく、かっこよく、目が離せない主人公

この作品の魅力は、なんといっても主人公の仁菜。
主人公の良さがこの作品の9割を担っていると言っても過言ではない。
いや過言か。でも間違いなくいいんですよ。

主人公・井芹仁菜

近年のガールズバンド作品の主人公、言葉を選ばずに言うならろくでもないヤツばっかなんですが(笑)、今作もなかなかすごい。

仁菜は実家から川崎に飛び出してきた高校生で、いろいろとワケアリ。
中学時代にいじめられ、父親とも上手くいかず苦しかった時、とあるバンドの曲に感化され、その勢いのまま川崎まで出てきちゃったわけです。

逆に言えば、勢いだけで来たので、過去に対する清算とか全然できてない。普通にいじめられたことも父親の無理解も引きずったまま。

おまけに高校生なので、一人暮らしをしようと思ったら親から支援してもらわなきゃいけない。勉強もしなきゃいけない、生活のためにバイトだって……ああもう! 生きづらい生きづらい生きづらい! でも誰に怒りをぶつけりゃいいのか分からない!

彼女は社会に対するフラストレーションが溜まりまくってる状態なんです。
ロックを奏でる時、彼女の負の感情が音楽と化学反応を起こして輝くわけですが、それ以外の時はさあ大変。

自分の意見はどうあがいても曲げられず、口論になれば自分の本心を徹底的にぶつけていく正論モンスター。一方で、思春期らしい不器用でひねくれたところもあり、とにもかくにも面倒くさい。

あと彼女、とにかく勝ち負けにこだわります。音楽は一種の表現なんだから、究極的には勝ちも負けもないって、ほとんどの人は分かってるじゃないですか。でも仁菜は納得しない。再生数だのフォロワーだの、目に見える数字を引っ張り出しては勝負をつけようとしてくる。

しかも何が最高って、最後までずーっとそのままなんです。
普通の作品なら、後半になるにつれて精神的に成長して、「こんなことでゴタゴタ言っても仕方ないな」ってなるじゃないですか。
でも仁菜はならない。最終回の最後の最後まで勝つだの負けるだの言ってるんです。

彼女はいうなれば、社会のはみ出し者で問題児。
でも最高なんです。共感しちゃうんです。
そこが今作の素晴らしさ。

それは一重に、誰もが仁菜の気持ちを知っているから。
誰だって本当は「絶対に曲げたくないこと」があるんです。
え、ない? 大人ぶってんじゃねえよ!

あれが嫌い、あれが最高。あれはムカつく、あれしか考えられない。
ポジティブにせよネガティブにせよ、誰にどう言われたって変えたくないと思う、絶対的に揺るがない自分の価値観。
今はなかったとしても、かつてあった時代があるはず。

TVアニメ『ガールズバンドクライ』第5話挿入歌「視界の隅 朽ちる音」サムネイル

仁菜は自分を曲げず、包み隠さず押し通そうとします。
自分の好きを、自分の嫌いを。
それを見ていると、いろんな感情が湧いてきませんか。
思春期を思い出して恥ずかしくなってもいいし、でもどこか分かるなあと共感したっていい。

何より「自分だったら折れ曲がっていたな」と思ってしまう。
だからこそ、どんな時も絶対に曲がろうとしない彼女が、段々かっこよく見えてくる。

理不尽な社会、大人たちの耳触りのいい言葉。
そういったものを浴びせられながらも、それでも屈しない仁菜を応援したくなる。「いつまでも子どもみたいなこと言ってんじゃないよ」が「いけ! 大人ぶったアイツらに中指立てていけ!」になっていく。

青く、脆く、純真でまっすぐ。
仁菜の持つ輝きは、私たちが本来持っていたもので、かつ失ったもの。
だからこそ「彼女に勝ってほしい」と思うんです。

トゲアリ・トゲナシ・生きづらし

仁菜が加入するバンド・トゲアリトゲナシは、個性豊かなメンバーが揃っています。
中でも注目すべきは、彼女が川崎に来て最初に出会った桃香でしょう。

仁菜を動かした存在・河原木桃香

何を隠そう、仁菜が川崎へ向かったのは、彼女が作った曲がきっかけ。まさに運命の人。
なのに、彼女は以前に加入していたダイヤモンドダストを抜け、一人で活動していました。一体なぜ?

詳細は伏せますが、彼女もつまるところ、仁菜と同じ属性なんです。
納得できないことは納得できない。表面上は「仕方ないだろ」と大人ぶったことを言ってても、心の底では仁菜の気持ちを誰よりも理解している。

桃香は言わば「未来の仁菜」であり「トゲを抜かれた仁菜」なんです。
トゲアリトゲナシというバンド名ですが、彼女はトゲナシの方なわけですな。

そんな彼女も仁菜と出会い、活動するうちに、やがてどうしようもなく惹きつけられていく。
本来自分が持っていたはずの「トゲ」を取り戻していくんです。それがまたいいんですよ。

他にも、全体のバランサーでありつつ、家族に本心を打ち明けられない安和すばるや、本気で向き合っていたらバンドメンバーにそっぽを向かれた過去を持つ海老塚智、親を亡くし孤独のまま日本へやってきたルパなどが登場します。

トゲアリトゲナシ「棘アリ」アルバムジャケット

彼女たちは一見するとバラバラで、なのに総合すると非常にバランスがとれている。
それはきっと、彼女たちが唯一共通して持っているものがあるからです。

そう、それこそが「生きづらさ」。

この社会が生きづらい。
自分の好きなものを認めてくれない。
本心を言いたくても、周りが、空気が言わせてくれない。
本気で向き合っているのに、理解してくれない。
ただ生きているだけなのに、罵倒される。

ああ生きづらい、なんて生きづらい世の中だろう。

君達はこの先の人生で…
強大な社会の流れに邪魔をされて
望んだ結果が出せない事が必ずあります

その時
社会に対して原因を求めてはいけません
社会を否定してはいけません
それは率直に言って時間の無駄です

そういう時は
「世の中そんなもんだ」…と
悔しい気持ちをなんとかやり過ごして下さい

やり過ごした後で考えるんです
社会の激流が自分を翻弄するならば…
その中で自分はどうやって泳いでいくべきかを

松井優征『暗殺教室 21』より

そういえば殺せんせーもこんなこと言ってたなあ……
とても立派な「大人の」考え方だと思います。

しかし、本当にそれだけでいいのか? と私は問いたい。
大人らしくあれ、正しくあれ。結構なことでしょうよ。

でも、彼女たちが持っている社会にそぐわない性格や価値観が、全て蔑ろにされるべきなのか?
社会に都合よく丸められるだけでなく、尖るべき時に思い切り尖っていく。そういう心構えだって必要なんじゃないの? と。

大人であってもトゲを持て!
まさに「トゲアリトゲナシであれ!」ってことなんです。

2020年代の「ロックの現在地」

翻って、大ガールズバンド時代の話。
『ぼっち・ざ・ろっく!』や『MyGO!!!!!』、そして『ガールズバンドクライ』が描く様は、今の時代における「ロック」のあり方、立ち位置を読み解くことができます。

実際、『ぼっち・ざ・ろっく!』が特に強い影響を受けているロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」の後藤さんは、以下のように語っています。

しかし、いわゆるロックをある種の不良性から奪還(追記:解放と書いたほうが正しいかも)したことはひとつの成果なのではないかと『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ながら思った(3/15追記。自分たちの偉業!みたいな気持ちはなくて、そういう流れの一端を担ったのでは?と考えています。大袈裟に書きすぎましたね)。俺たちはロックが持つある種のドレスコードに反発していた。それは華美な衣装や化粧だったり、革ジャンのイメージだったり、あるいはハーフパンツとクラウドサーフだったりした。デビュー当時は「あんなのはロックじゃない」と散々言われた。傷ついたこともあったが、その言葉こそが燃料だった時代もあった。陰キャという自覚はないけれど(だってそれはドレスコードが仕向けたバイアスとキャラだろう)、拗れていたことは確かだ。

「ドサクサ日記 12/5-11 2022」より

もう後藤さんが答えを見つけちゃってるわけですが。
そう、「不良性からの解放」です。

かつては「不良の音楽」だったロックが歴史を重ね、傑出した音楽やロックバンドを生み出したことで、やがて大衆の支持を得るまでに至ったわけです。

それこそ、ぼっちや仁菜のような女子高生がギターを奏で、マイクを持って叫ぶ「自己表現の一つ」として受け入れられるくらいには、あって当たり前の存在として社会に浸透していったといっていいでしょう。

つまり、ロックは歴史そのものに「はみ出し者の勝利」という要素を持っている。

そして、いつの時代にだって社会に馴染めない人たちがいて、そういう人たちの感情を受け止めてきたのが芸術であり、音楽であり、ロックなんです。

『ぼっち・ざ・ろっく!』なら、人見知りで引っ込み思案な主人公の自己実現の場として。
『MyGO!!!!!』なら、自己顕示欲・羨望・依存など、他者には見せられないドス黒い感情の表れとして。
そして『ガールズバンドクライ』なら、社会に対するやりようのない苛立ち、フラストレーションを解き放つ場所として。

日々生きづらいと感じる人たちの、大きな受け皿になってくれる。
それがロックの現在地であり、先人たちが築き上げたものと言えるかもしれません。

我々が苦しい時、ロックはそれに応えてくれる。
今、苦境に立たされている人たちに、ロックの持つ懐の深さ、ひいては大ガールズバンド時代に光り輝くアニメたちの存在を知ってもらえたらと思います。

……あ、そうそう。
ガルクラと同時期、話題になった音楽アニメがもう一つありましたね。
その話はまた次回。

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