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怖いシーンが全く無い『関心領域』は、なぜめちゃくちゃ怖いのか?

観ている間、途中から半べそかきそうになりましたよ。

何がって、『関心領域』という映画です。
この映画、2023年度のアカデミー賞受賞作なので、映画好きの間では知られている作品です。が、世間での知名度は皆無。

私が観に行ったのも、本当にただの気まぐれで「たまにはこういうのも観てみるかー」くらいの感覚です。
おかげさまで新手の恐怖体験を味わってしまいました。あーおそろしや。

でもこの映画、怖いシーンは何一つないんですよ。
そりゃちょっと不気味な演出はありますが、怖いモンスターは出てこないし、急にビビらせるシーンもない。

では、なぜこの映画は怖いのか。
今作の怖さのキモは、「見せない」ことと「聴かせる」ことにあると思います。

「見せない怖さ」と「聴かせる怖さ」

舞台は1940年代のポーランド南部・オシフィエンチム。
ルドルフ・ヘスとその妻を中心に、家族が仲睦まじく暮らす様子が描かれます。これだけ聞いたら、よくある凡百の映画ですよね。

実は、ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツ強制収容所で最も長く所長を務めた人物。そして、なんと彼らはアウシュビッツ強制収容所のすぐ隣で暮らしているのです。

ただし、前述したように、今作に怖いシーンは基本的にありません。
作中を通して、収容所の内部がはっきりと描かれることはなく、せいぜい巨大な壁や遠景、強制収容所へ引き込む鉄道が映されるのみ。

よく考えれば当然の話です。アウシュビッツで起きたことを本気で映像化しようものなら、見るに耐えない映像が完成します。史実を知りたくても、さすがにそういう作品を好んで観ようとは思えませんよね。

その代わり、今作が用いたのが「音」です。
今作は「音がもうひとつの映画」と評されるように、壁の向こう側から音が聞こえてきます。それは銃声や怒鳴り声、悲鳴が入り混じったもの。夜であれば、何か巨大な装置が動く音。作中のほとんどのシーンで、何かしらの「音」が聞こえてきます。

音響へのこだわりは各所で見られます。
映画冒頭では、真っ暗なシーンに不気味な音が流れる時間がしばらく続きます。このシーン、最初はスクリーンに映像が映ってないんじゃないかとヒヤヒヤしました(笑)
後になって考えると、製作者からの「音に注目してくださいね」というメッセージだったことが分かります。

また、今作には音楽らしい音楽が挟まれないのですが、その代わり低く唸るような音が随所に挟まれます。エンディングではその音が徐々に甲高い音に変わっていき、まるで人々の悲鳴を寄せ集めたようなものに聞こえてきます。それに気づいた時の怖さといったらもう。

そうそう、この作品は静かな映画ですが、映画館など音響設備が整った環境で観ることを強く推奨します
というのも、上記の銃声や悲鳴は、(おそらく意図的に)ちゃんと耳を澄まさないと聞こえない程度の音量に調整されています。この音が聞こえないと、今作を100%味わったとは言えないでしょう。それくらい重要です。

誰もが「関心領域」の中で生きている

さて、観客がビビっている間にも、作中の家族は仲睦まじく暮らしています。まるで銃声も悲鳴も一切聞こえていないかのようです。

でも、彼らとて聞こえていないわけではないと思うんですよ。ただ、「関心がない」だけで。
そう、それこそが今作のタイトルにもなっている「関心領域」です。

私がこの映画を観ていて思い出したのが、スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』です。この本には、人間の「関心の輪(関心があるもの)」と「影響の輪(関心があり、なおかつ自分がコントロールできるもの)」に関する記述があります。


スティーブン・R・コヴィー『完訳 7つの習慣 人格主義の回復: Powerful Lessons in Personal Change』より

では、『関心領域』に登場する家族にとっての「アウシュビッツ」はどこに入るのか?
思うに、アウシュビッツは彼らの関心の輪にすら入っていない。そこが今作最大の恐ろしさなのです。

今作は1940年代を舞台にしていますが、他人事のように感じられないのはそこにあります。
壁を挟んでいるとはいえ、すぐ隣で起きていることにさえ、私たちは簡単に無関心になれてしまうのです。

今作の結末は意外な展開になっています。詳細は伏せますが、1940年代のアウシュビッツと、現代に生きる我々を結びつけようとしているのは明白です。

今でも世界のどこかで紛争や虐殺が起きている。それに対し、私たちは無関心になることも、関心を持つこともできる。
どちらを選ぶかはあなた次第、というわけです。

誰もが無関係になれない

この映画はホラー映画ではありません。
それでも、今作にはさまざまな「怖さ」が溢れています。

耳を澄ませば聞こえてくる、言葉にしようのない惨劇の怖さ。

低く唸るような音が、叫び声の集合体に変質していく怖さ。

映画全編がドイツ人だけで成り立ってしまっている怖さ。

軍の会議において「ユダヤ人を効率的に殺す方法」が淡々と議論されている怖さ。

現代にも通じる、人々の「関心領域」の怖さ。

そういった怖さを一度体験してみたい方は、ぜひ劇場へ。


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