隣に立ちたいと言ってくれた彼に、常に背中を見せ続ける為に。
柔道、書道、生徒会。中学受験戦争を乗り越え、意気込んで入学した割に、中高僕が心血を注いだのは勉強ではなくそれら課外活動だった。あまりに楽しかったのだ。
基本的に後輩には好かれていた(と思う)。
生意気度マシマシだった僕は後輩ぶる、ことが苦手だった。運のいいことに─或いはとても悪いことに─柔道部では一つ上の先輩が1人もおらず、書道部は自分で立ち上げた為そもそも先輩がおらず、生徒会は学年ごとで活動することが多かった。よって先輩と触れ合う機会がほぼなく(それでも仲良くしてくださった先輩方はたくさんいた。彼ら彼女らには本当に、心から感謝している)その分、同期と後輩とばかりつるむようになった。
部活動。同じ目標に向けて直向きに努力する環境は心地よかった。ヒョロヒョロガリガリだった後輩たちが筋トレバカになったり、力では勝てない相手に研究を重ねて試合で頭脳プレイの末白星を挙げたり、最初は道着に着られている感が大きかった彼らが黒帯を取った時なんかは自分のことのように嬉しかった。
心から後輩たちのことは好きだったし。すこし気持ち悪がられるかもしれないが、彼らと一緒にいる時間が本当に好きだった。
(かくして「天上天下唯我独尊人間」が誕生したわけである。先輩に怒られない代わりに先生にはめちゃくちゃ叱られていたので、トントンかもしれない。)
前置きは終わりだ。自分語りが毎度長い。
そんな僕だが、大学では「やりたいことをやろう」と思っていた。
当然高校までの部活動だってやりたいことだった。けれど、それは限られた範囲の中で選ぶとするのなら、という話であって。
なんだかキラキラした総合スポーツサークルだとか、ダイビングだとかゴルフだとかもやっちゃったりして!!勧誘チラシいっぱいもらっちゃうぞ!
などと、甘い夢を押し広げること、枚挙に暇なしであった。
あー!どんなサークルに入っちゃおうかな!ワクワク!
一年の春のことである。唐突に緊急事態宣言は発令された。あんなにキラキラしていた大学生活は、急に茶や灰のくすんだ色と化した。せっかく一人暮らしをさせてもらったのに、結局大学に行く用事も無くなった。実家に帰ることになった。
友達もできなければ、先輩もできない。サークルの勧誘などあるわけもなかった。
しかし、いるのだ。環境が変われば、勧誘方法もすぐに変えてくる腕利きたちが。
その団体こそ経営学部自治会、だった。
今でこそ当然になったzoom新歓、説明会もまだまだ黎明期だった。(最近は対面の方が効率がいい云々の議論もあるが)
そういった腕利きの先輩方の口車に乗せられ、なんだか同期がいい奴らそうだな、という先入観で入部することになった。
しかし、世はコロナ全盛期である。
入ったはいいものの、特にやることもない、イベントもない、飲み会もない、仲良くなる機会もない。
そうこうしているうちに、すぐ一年は過ぎた。2年になるということは、先輩になるということであって、後輩ができるということであった。
すこし、ワクワクしていた。
同期とも「どんな子たちが入ってくるんやろな」などと話していた。(ちなみにこの同期とは後でめちゃくちゃ喧嘩する。喧嘩というか冷戦というか、とにかく嫌なやつである。もうそれも終わって、今は全幅の信頼を置く友達の1人であるが)
とても努力して、はじめて「新入生交流会」というものを完成させた。頑張った。けれど、僕はやっぱりここでも先輩との折り合いが付かずに、少し「部室に行くこと」じたい嫌になった。部室に行かないということは、顔を見なくて済むということで、それは裏返せば活動に参加しなくなるということであった。はっきり言って顔を毎日出したって、活動の成果なんて微々たるものだ。当然顔を合わせないようになれば、それは「関係を断つ」ことに他ならなかった。
時折必ず行かなければならない集会などには行っていた。けれど、やっぱり一度休んでしまった習い事には行きたくなくなるのと一緒で、何だか居心地が悪くなっていた。帰り道みんなで食べるラーメンも好きだったのに、あーすみません今日は家で、お疲れ様です、とすぐ帰るようになった。
ある日、久しぶりに部室に行くとなんだか後輩たちからの目線が前より、よそよそしい気がした。不思議だった。それは明らかに「僕を避けるような」目であった。
その時蔓延していた、事実に尾鰭を継ぎ接ぎした、なんだか笑えてしまうような、僕に関するネガティブな噂を仲良くなった彼から聞いたのは、それからずっと後のこと。
ーーー
全く失礼な話をする。ごめんなお前ら。
誤解を恐れずに言えば、正直まったく、まっっったく後輩たちが可愛いと思えなかった。
自分自身でもよくわかっていなかった。僕のあまりにも短い人生経験上「後輩」とは僕が好きでいる対象であり、何かしてやることは当然で、かわいがることは当たり前だった。
なのにも関わらず、何にもかわいくなかった。男子女子問わずである。なんで?
まあ、彼ら彼女らでなくただ僕の問題であった。
ただ、僕はたぶん拗ねていたのだ。くだらない理由で、随分と幼稚な行動を取った。
馬鹿だったなと、青かったなと、そう思う。当然こんなところでちまちまと書くようなことではない。けれど、気持ちは残しておきたいものだから。申し訳なかった。ごめんな。
とまあ、不貞腐れていた僕であったが。
そんな「下馬評は最悪」の僕に、なぜか近づいてきてくれた後輩がいた。
当時、僕は浪人期に「ブルーピリオド」という漫画で興味を持ってからというもの美術館巡りに傾倒していて、携帯のカバーも有名な絵画が印刷されたものにしていた。
お前と初めて食ったラーメン。よく覚えている。たしか同期と後輩数人でテーブル席に座って、君は俺の真ん前で麺を啜っていた。
そこまで仲良くない、ほぼ初対面の大学生男子の話すことなど、だいたいメシの話か、誰とどこへ遊びに行っただとか、部活は何をしていただとか、そんなことばかりだ。何かの拍子でこの前彼が印象派の展覧会を見に行った‥みたいな話になった。
おーまじか、ちょっと珍しいな、と思って少しだけ、好きな絵画は何だとか、好きな画家は誰だとか、そういう絵画トーク(?)を繰り広げてみた。
なかなか趣味が合うな、まあそれだけのことだな、と思っていたら彼が割と思い詰めたように切り出してきた。
「僕、〇〇(学生団体の名前)に入ろうかなと思ってるんですけど、どう思いますか?」
どう思うも何も、そもそも僕は君のことをほぼさっき知ったのだ。大学生にとって自分の所属する団体を選ぶことは、それなりに生活を左右する大きな選択の一つだ。そんなものは僕にすべきでないだろう、とも思ったが。
なんだか頼られていると感じた。大学に入って、久しぶりの後輩からの相談。それがほぼ初対面であってもやはり嬉しいものだから、君のことはよく知らないが、という枕詞をつけながらも自分に話せそうなことは全て話した。
初めてサウナにも連れて行った。先輩風を吹かせたかったのかもしれない、それなりにいいところへ行きたいな、と車で行ったっけな。
その当時、僕は自分の身の振り方に悩んでいて。いわゆる「委員長」という役職に立候補するか、しないか、みたいな悩みである。今となっては「ちょっとでもやりたいなら、やりゃいいだろ!」と笑い飛ばせてしまうような悩みだが当時、僕にとってそれはそれは深刻な悩みの一つであった。
『夜明け前の若者たち』でおぼえたキリンジのエイリアンズをBGMに、少し空いた窓から夜風を通しながら、本当はシャイで謙虚で聡明な彼が言ったこと。よく覚えている。
ーーー
「栗林さんがなってくれるんやったら、僕はその隣に立ちたいですけどね」
うん。そうか。
小学校の卒業式で答辞を読んだ。中高で生徒会長を務めさせてもらった。関西版でも全国版「生徒会の集まる会議」みたいなものでも実行委員会の要職に就かせてもらい、ローカルラジオ番組で1年間MCもさせてもらった。背伸びしたな、と思っていた。光栄なことだった。嬉しいこともたくさんあった。
けれど、結構、ずっと、足を伸ばし続けるのはしんどいことだった。自分のなりたい自分になれている気はした。けれど、毎度毎度スピーチの前に吐きそうになるくらいなら、ご飯を食べられなくなるくらいなら、手を挙げるのをやめればいいじゃないか。そんなことには──最初に言われたのは家族で、母も妹も、僕がそういうことをするのには全員反対していて、それが心配だから言ってくれていることにさえ、当然──気付いていた。
もう、疲れるから。こういうのは大学ではしない。高校までで終わり。楽しかったなあ!よかったよ。随分と素敵な経験をさせてもらった。いい思い出だったな。
けれど、やりたくないなら、そこに立ちたくないのなら、そう悩むわけもなくて。
彼の言葉で、背中を押された自分がいた。
そうか。そう思ってくれる後輩が、1人でもいるのか。
それなら、まずは彼のためだけになってみる、というのも、悪くはないか。
その時、決めたのだ。
彼が隣に立つというのなら、もちろん立っているのだと思う。周りは当然横に立っている者として扱うんだろう。
だが僕の中では、彼はあまりにも大切な後輩の1人であるから。僕が頂へに行くことができるのなら、僕が前に立って、ずっと──実に自分勝手で偉そうな言い振りだけれど──別に背中を見ろと言っているわけではない。その後ろでぬくぬくと楽しく過ごさせてやりたい。
そうあるために、努力しよう。僕の助けなどいらなくなった時、真に彼が前に立つまで、ずっと、彼に背中を見せる為に。
それから。
彼が僕と仲良くなったのを皮切りに、あまりにもたくさんの親愛なる後輩たちに出会えた。基本的には1人でサウナに入るのが好きな僕だが、たまに一緒に行ったりもする。
ぼくはなんやかんやあって、また馬鹿の一つ覚えみたいにスピーチや挨拶ばかりして、普段は椅子に座って、難しい顔をして、ふんぞり返っている。
ーーー
よく質問をされる。
「なんで委員長──というのが、僕の今の役職であり呼び名である──になったんですか?」
それには、いろんなことを言う。
こんなことがしたくて、あんなふうにしたくて。
けれど、本当は。
お前が言ってくれたから、なんだよ。
ありがとな。
2023年夏 某日
追記
おめでとう。
2023.9.27
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