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膝も、手も、どこもかしこも震えてばっかり。いつになっても。

小躍りさえしてしまうBGM。
響き渡る、たった1人の言葉。
爆発が起きたみたいに湧き上がる大歓声。
これだから、みんなとの会話はやめられない。

小さい頃から、みんなの真ん中で話すのが好きだった。

劇の主役をするのが好きだった。みんながぼくをみてくれている!そう思うと、なんだかとても幸せな気分になった。

現代日本においてありえないくらいの田舎生まれの僕が通う小学校は全校生徒100人。クラスメイトは25名。幼稚園からの幼なじみは5名。少なかったと思う。
それでも、みんなの前で何かをするときは緊張した。うまく声が出なくなった。

中学高校と生徒会長を務めた僕は、わりとスピーチする機会が人よりも多かったように思う。面白いスピーチをするとみんなは笑い、そうでもない挨拶をするとみんなはすやすやと寝た。こんなに一生懸命に話してるのに!もう!とも思ったりもしたが、僕だって講演会は眠くなってしまうから文句は飲み込んだ。

転機はやっぱり中学の生徒会長選挙で、ガクガクの膝を抑えながら「この学校は腐っている!」なんて大口を叩いた。
山ほどブーイングもあった─らしい─けれど、あまり気にはならなかった。僕はちょっとした人の悪意に少し鈍感なところがあるようだった。

だんだん、なんとなくコツがわかってきた。どうすればみんなが楽しい気持ちになって、どうすればみんなは静まり返るのか。どうすれば、僕の気持ちはみんなに伝わるのか。
場数はどんどん増えていった。
中学の入学式では「出過ぎた杭は打たれない」高校の入学式では「為せば成る」をテーマに在校生代表挨拶をしたことを覚えている。その他にも各行事の最初の火蓋を切って落とす役、教育委員会の取り組みを全国に知らしめる役、新成人の想いを代弁する役など、正直数えていてはキリがないくらい。

何度も言って恐縮だが、僕は中高ずっと生徒会に携わってきたいわば「生徒会マスター」みたいなものだった。カッコいいのかカッコ悪いのかは分からない。ちなみに僕は案外ダサいと思う。
だからこそ、大学では「そういう」ことはしない、と何となく決めていた。
そんなことじゃなくて、もうやりたいことを目一杯やるんだ、と。

でもさあ。

結局、今までやってきたのも「やりたいこと」なんだよな。

やりたくないこと、ずっと脇目も振らずにやれるわけないじゃない。
大学3年生、22歳。結局僕はまた「自治会」に所属した後にそのお世話団体?まとめ役、みたいなところにいて。
昨日は、その中のイベントの、司会を務めていた。

僕は割と「変わろうと思えば今日から君は変わることが出来る」言論の支持者でもあるのだけれど。
人はそう簡単には変わんないか。
そう簡単に変わっちゃ寂しいじゃない。

いつも通り自分が登壇する数分前にはうまい息の仕方を忘れるし、吐き気もするし、お腹も痛くなる。
当然、原稿を持つ手も震える。だから僕は原稿を持たない。基本的に、本当にその時、思ったことしか言わない。(だから高校卒業式の答辞で15分うだうだ喋る羽目になる。あれは実に感動的だったね。)

それでも、僕は不得意なスピーチを続けるんだと思う。
1人でも多くの、みんなと会話するために。
君たちが僕の声に応えてくれる限り。

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