F1とジャパンカップ ファンを見て

最近F1をめっきりと見る頻度が減った。30年以上見てきて、多分人生で一番レースを追っていない。理由は色々あるけど、単純にかなり近い場所でモータースポーツに関わる機会を得て、結局そっちの方が面白くなってきた、というのが大きい。格闘技にハマった理由もそうだったけど、どれだけその人に対して乗れるか、感情移入できるか、というところがスポーツを見る上で個人的には非常に大きいらしく、F1みたいなある意味次元が全然違う場所のものに対して気持ちが乗らなくなった、というのが大きい。とはいえ、鈴鹿にF1が来たらそれなりに色々と目にする機会も増える。

で、この週末は宇都宮でジャパンカップがあった。日本で見ることができる唯一の世界レベルのサイクルロードレースと言われている。シーズン最終盤だし、観光気分でくる選手も多いと聞くので、全く同じ雰囲気とまではいかないものの、それでもトップチームはやってくるので、世界レベルのレース、という意味では多分間違ってない。

F1とジャパンカップ、どちらにも共通して言われるのがファンの素晴らしさ。日本のファンは素晴らしい、マナーが良い、などなどと。確かにマナーは良いし、海外なら追い剥ぎのように自分たちからいろんな物を奪い取ろうとする激しいファンが多いけど、逆にいろんな物を渡してくれる、という意味では欧米の選手や関係者たちからすれば新鮮だろうが、ずっとそこに感じる違和感があり、何がきっかけかわからないが、言語ができたような気がする。

両イベントに来場し、注目されるファンには共通項があり、仮装をしていることが多い。F1ならマシンを模した被り物、JCならなんだろう、でも被り物を含め、ロードサイドで目立つことを主目的にしているような人は割と多い。今年はどちらにも恐竜がいたけど、トレンドなのだろうか。F1ではずっとベイダーの被り物をしている人がいて、一部界隈では非常に有名な人ではあったが、個人的にはとても苦手なので触れるのは控えます。

応援するだけなら別にコスプレとか要らなくないか?みたいな面白くない思考をずっと抱えていて、それが何故違和感なのか、という点がずっと引っ掛かっていたが、JCである人の発信を見た時、それは応援ではなく、自分を見て欲しい、注目してほしいという承認欲求が形を変えて現れたもの、ということに気づいた。承認欲求はあって然るべきだとも思うし、それ自体を否定することはない。こうやって外部に向けて発信していることも承認欲求の現れてですから。じゃあ何が嫌なのか?となると、単純に応援という皮を被るなというところなのかなという結論に達しました。自分の承認欲求のダシに選手を使うんじゃないよ、と。

ごく一部、こういう意見として「選手へのリスペクトに欠ける」という向きでこのコスプレを否定する、貶す向きも確かにあるんですが、個人的にはそれに全面的に賛同するわけではなく、1つの要素としてその通りだなとは思います。じゃあ結局なんなんだよ、という点についてはまだスッキリとはしていないのですが、かといって深く考える事が生産的な時間の使い方ともあまり思えないので、半年後、F1が来た時(次は春開催)にまた思い出せたら思い出したいと思います。

体調不良が引き続き続きます。


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