目が老化という道に足を踏み出した
しばらく現実からぐぐぐっと目を離していたけれど、もしかしたら私の目は”老化”という道に足を踏み出したのかもしれない。
気づいたのはふとした瞬間で、どうも仕事をしている時にディスプレイに煌々と映るエディタの文字列が見えずらい。むむ、なんだこの潰れた文字は?と思うけれど、最近購入したピカピカのディスプレイは潰れた文字なんて出すことはないので、完全なる私の見間違えである。なんだか敗北を感じた。
ブラウザの表示も拡大120%がちょうど良く、そうすると文字もちゃんと見える。はっきりと書いてあることがわかる。ただ、仕事で使うブラウザの画面は情報量が多すぎて目が忙しい。27インチのディスプレイいっぱいに画面を開いたら、それだけ情報が怒涛の波のようにやってくる。情報、情報、大事な情報、目の裏側がちょっと痛くなる時は目薬をさして乗り切る。
そしてやっとこさ仕事が終わって、iPad 11インチの画面で本を読んだりすると、すぐに疲れてしまったり、読みたい本のはずなのに集中力が続かなくてパッと目を離して閉じてしまう。むむむ、デジタルのいいところを全く生かしきれなくて悔しい。
物理の本は文庫本の小さい文字でもはっきりと見えるし、ずっと見ていても目が疲れない。横になっててもゴロゴロしながら読んでても全然苦にならない。
おかしいなぁ、おかしいなぁと思いながら過ごしていて、ふと何かの集まりの会で、私と同じテーブルに座られている少し年上の方が、iPadを使って資料か何かを読んでいる姿に目が入った。
「あっ、12インチだ」
その瞬間、何となくパズルのピースがハマった気がした。「私の目の疲れはただの老化である」と。少し前に同じような光景を別の場所で見たことがある。もしかしたら私が見た方々は"そう"ではないかもしれないし、大きい方が使いやすかったという理由だけなのかもしれない。ただ、私にはそれが未来の私に見えたのだ。
次にiPadを買うならば、きっとminiではなくて大きいサイズにしよう。でかい画面は私にとって正義だ。
画面の向こう側にいるYouTuberさんたちは、こぞってminiを推してたけど、よくよく思い出してみたら、全員私よりも年下じゃないか。きっとこの目の衰えは来ていないだろう。1人でうんうんと納得した。
よく思い返してみれば、エディタも120%に拡大して仕事をしているし、デジタルで購入した雑誌は拡大して読んでいる。漫画は苦にならない、なぜならば文字が少ないから。
ああ、私はそうかそういう年齢になったのだ。何だか”仕事のしすぎかな”とか”疲れ目になりやすくなったなぁ”と思っていたけれど、おそらくそれらは目の老化が原因だったのだ。ああそうか、目の老化か、そうかそうか...
その事実を受け入れた後、私はデスク脇の椅子から窓の外を見上げ、スゥッと息を吸い、吐いて、を繰り返し気持ちをスッキリさせた。なんだそっかぁ。ちょっぴり大人に近づいた気がした。
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