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外資系企業で2度の事業撤退を経験するまでの軌跡

初めまして。これまで5社経験をし、そのうち2社で日本市場からの撤退を経験した私の経験を書き綴ろうと思います。
その前に以下自己紹介です。

年齢: 34歳
出身: 北海道
子: 2人

新卒で入社したのはゴリゴリの日本企業で夜勤やら長時間労働やらいろんな経験をさせてもらっていました。
ただ、そのあとのキャリアがすべて外資系企業(特に外資系にこだわっていたわけではないです)で英語が喋れず苦労しました。
もともとGlobalで活躍したいとかそんなことは一ミリも考えたことなかったです。
転職を考えるタイミングで運よく良い縁に恵まれてました。(とはいっても2回も事業撤退を経験しちゃっているので良い経験とは言えないかも・・・)
ただ、自身の経験値を上げるのに奔走した結果外資系企業という選択になっていきました。

まずはこれまでの私のキャリアをざっくりと記します。

1社目は冒頭でお伝えした通りゴリゴリの日系企業の物流会社で働いていました。今考えれば俗にいうブラック企業に近かったかもしれないです。
ただ、ここでの経験はかなり今の仕事観に影響を与えているかと。
物流という業界もあってか自分の仕事が止まるととんでもない範囲に影響を与えてしまうので毎日必死にもがいていました。
大学を卒業したばかりの右も左もわからない素人がいきなり物流現場に放り出されて「あとよろしく」って感じ。
夜中3時とかになんど上司に電話したことか。いやな声されるけどそんなの気にせず着信残していましたw
転機としてはその物流会社で新たに物流センターを立ち上げるってなったときです。その話が出るころには2年目の後半に差し掛かっており、現場のことは任せろ!って有頂天になってましたw
そんなときに上司から声をかけてもらったもんで余計有頂天に拍車がかかりました。
といいつつもなんやかんやで1年半くらいかけて超巨大な物流センターの立ち上げを無事に終え、さぁこれからどんどん荷物入れていくよーってタイミングになったのはいいものの・・・・・。
一言でいえば辛かったぁ。今思い出しても大変だったなと。
とはいえ、やらなきゃいけないことは変わらないので必死になってやり切りました!いろいろ試行錯誤しながらもよい仲間に恵まれいろんなことに挑戦しながら失敗しながら前に進んでいきました。
ようやくある程度安定してきたかなってところでふと考えたのが、このセンターの利益って出てるのかな?って考えちゃいました。(税金やら、固定資産税やら全部ひっくるめてどうなのかなって)
案の定大赤字でした。その時の立場としては経営者でもなければセンター長でもなく一介の主任(担当者に毛が生えたレベル)だったので気にしなくてもいいと言われれば気にしなくてもよかったんですが、一度気にしてしまうとどうにかしないとなという謎の使命感に駆られてまずは自分自身ができることできないことを分けて、できないところは誰ができるのか、どうすればできるのかという感じで関係者まるっと巻き込んで進めちゃおうという感じでプロジェクト立ち上げました。(思えばよくこんな人数を集めれたなと。センターの立ち上げで結果出しててよかったー。と思います)

とまあこんな感じで黒字化大作戦をスタートし、順調にプロセスも進み、無事に黒字化達成!となりました(紆余曲折ありましたが、それを書いちゃうと永遠にこの話が終わらないくらい長くなるので省略w)

とこの辺で第一回は締めようかなと。
第二回は初めての転職とその後って感じでまとめようかなって思っています!


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