多様性とマネジメント|仕事自語
障害者雇用と合理的配慮
僕の勤める会社は様々な人が働いている。
障害者雇用もあり、会社としても法定雇用率を守っているのだろう。詳細はわからないが。
僕の所属する組織にも障害者雇用の社員が配属されており、僕の部下となっている。配属前には、人事部から障害者雇用に関する説明や、当人の特性についての説明があった。
その中に、「合理的配慮」についても説明があった。
上記の通り、事業者の義務とされるもので当然上司である僕にもマネジメント業務として対応が必要になった。全く知識もない状態で任されるので内心は複雑だった。
現状この合理的配慮の運用で困っていることはない。
当人は所謂、発達障害に当たるが日常の生活やコミュニケーションに支障はない。
合理的配慮の加減に慣れていない故、認識の違いがあれば遠慮なく僕に伝えるように言っている。どのように配慮していくかも上司や人事の担当者とも共通認識をもった。
仮に僕がマネジメントしきれなくなればギブアップするつもりでいるのでそこまで重圧もない。
こう現場で対応する一方で、会社の障害者雇用に関する評価制度についてはモヤモヤしている。
障害者雇用だろうが評価基準はその他と変わらない。合理的配慮の中でマネジメントしていけば他の社員と同様のパフォーマンスをは発揮できるはず。という考えだ。
つまり当人が力を発揮できないのは現場の責任。と認識した。
建前があるのは理解しているが、僕は発達障害と診断された人の特性を発揮させるような訓練は受けていない。
現場に押し付けられたような印象をもった。
僕ができる合理的配慮は、他の社員と比較して仕事の難易度やレベルを調整し、無理なく業務を遂行できる環境を整えるくらいだ。
たとえ業績が悪くても雇用形態は正社員なので他の部下と同列に評価される。
「診断された」か「診断されていない」か
発達障害と診断され障害者雇用されている人と、そうでない人の違いはなんだろうか?
障害者雇用の部下が配属されてから、しばし考えるようになった。
ちなみにこれは、人事の担当者に投げかけた質問でもある。
結論としては、「診断された」か「診断されていない」か。
発達障害にみられる特徴的な言動・行動等は「特性」と説明された。この特性は僕自身や周囲の人にも当てはまることが多く、「発達障害」であることの明確な基準は存在しないとのこと。
自己認識やその環境の生きづらさから医療機関への受診を選択することで、「診断された」状態になるのだろう。
他の人より「特性」の表出が顕著で「診断されていない」人もいる。こういった人は、空気が読めない、話がまとまらない、話が一方的、行間を読めない等、所謂コミュニケーションスキルが低い人に分類される。
職場では不定期にコミュニケーションのトラブルが起こるが、同じ人が当事者になることが多い。コミュニケーションの中で「特性」が大きく現れ、収集がつかなくなるケースだ。なんなら前述の「診断された」人よりも目立つこともある。
こういったトラブルは「人間関係」とか「言い方」の問題として処理される。
解決策のない問題
職場で「診断された」人として周知されている場合、当人や上司である僕にも会社や周囲の理解がある。だからコミュニケーションのトラブルが起こったとしても前提の理解の元、許容されるケースが多い。「しかたないよね。」って感じで。
では「診断されていない」人にはどんなサポートがあるのか?
僕は医者ではないしカウンセラーでもない。問題を指摘できても根本的な問題を解決することはできない。当人のコミュニケーションを矯正させるほど情熱もないし意欲もない。
こうして「診断されていない」人への周囲の印象は空気の読めない人になってしまう。
「診断された」人としての前提があるのと、それがなくトラブルを起こす人では解決に向かう方向が異なる。
前者は認められた特性であり正すようなものではないので、合理的配慮の中で本人の特性に合わせた出口を探すことができる。
後者は、コミュニケーションスキル不足として周囲に合わせるように改善指導を延々としていくか、もしくは指導を諦めるか。
「診断されていない」人に特性についての指摘するようなこともないだろうし、余程のことがないがぎりは当人も自身に疑いを向けることもない。
問題は解決されずそれを問題と認識されることもない。
解決策を見出しているわけでもないので、仕事として僕自身にも無理のないように付き合っていくのだと思う。
現場が持てる選択肢はそんなもんだ。
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