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つらかった思い出

 NYのたくさんの大切な友達に囲まれて日本に送り出してもらえたあの日から今日で一年が経ちました。18年もいた土地を離れるのは勇気もいったし、いろいろな感情が入り混じった日々でした。最後の1ヶ月は特に、もう少し第二の故郷を離れる余韻に浸りたかったというのが正直な思いでした。でも実は身も心も全然そんな状態ではなかったのです。いつも明るい話題を皆さんに届ける記事を書くようにしているのですが、今日はこんな気持ちをシェアさせてください。

 2019年の12月。帰国前に3人目を妊娠したことがわかっていたのです。引っ越しの準備や子育てやギグやらレッスンの傍ら、検診に通って本当にバタバタな毎日でした。もうつわりすら感じないほど。(時間があれば寝てはいましたが)

 今いてくれる2人の子供たちがかわいくて、かわいくて、そんなかわいい笑顔がもうひとつ増えると思うと楽しみでしょうがなかったです。私には大きな仕事も特に入っていなかったので、また赤ちゃんのお世話に時間を費やすというのも楽しみにしていました。

 帰国秒読みの最後の1ヶ月なんてさらに忙しくなり、今までの仕事プラス、レコーディングをしたり、お別れライブの準備やリハ、ラジオのインタビューなどをこなしつつ、帰国の荷物の整理をしていました。それにありがたいことにお別れのために友達たちが毎日の会いにきてくれて、毎日が盛りだくさんでした。

 そんな中、まさかの出血。今まで妊娠では経験のしたことないことなのでビックリしたけど、気のせいだ、と言い聞かせていました。2人の子供たちを問題なく、お腹の中で育てて、出産して、今まで元気でいてくれているので、変な自信があったのかもしれません。まさか、自分の身にそんなことが起きるわけがないと思っていました。検診でもちょっとエコーで異変が見え始めてきたので、不安な毎日が続いていました。「もしかしたら」の思いを一生懸命振り払って、さよならを言いに挨拶に来てくれる友達には笑顔でいました。

 そんな思いとは裏腹に数日後、帰国の5日前。出血がだんだん増えてきて妙な感覚を感じてトイレに駆け込んだら、たくさんの血と一緒にポトンと何かかけらのような塊が落ちました。その時「ああ、もうだめだ。いってしまった…、ごめんね…」と全身の力が抜け、涙がぽたぽたと流れていきました。あんなに泣いたのは初めてだったかもしれないほど涙が出ました。この時期の流産は遺伝子に問題があったから医学的には妊婦のせいではないと、分かってはいても自分を思い切り責めていました。

 翌日、急いで検診に行きました。分かってはいたのですが、どこかでまだ大丈夫なのかもしれないと心の片隅で願っていました。でも診断結果「流産」という現実を突きつけられ、ショックでした。先生の前でしかも待合室にいる希望に満ち溢れている妊婦さんたちの前では泣くのはやめようと食いしばっていたのに、「I'm so sorry…」と辛そうに私に伝える先生を見て思わず我慢していた涙が一気に流れ出してしましました。もうどんだけ出れば気がすむのか、ツッコミを入れたくなるほどの大量の涙。

 私にそんなことがあっても、1日はいつもの調子で過ぎていくものです。家に帰れば、やんちゃな2歳児は待っているし、やらなければならないこともたくさんあります。大輔にはベースを運送会社に持っていってもらったり、その日は娘の学校が最後の日。その足で学校の先生に挨拶に行きました。いつものようにニコニコしてくれる子供たちが救いでした。それにたくさんの友達。もちろん大輔も。

 その後は近所のみんなに見送られ、いろんな感情が入り混じり過ぎてタクシーで空港へ行く景色がなんとも無機質なものに見えたのが印象に残っています。

 その後は無事帰国して、住民票を入れたり、国民保険だ、幼稚園のことだ、児童手当とかなんだか色々こなしていかないといけなくて、書類の嵐!逆カルチャーショック。流石に18年日本を離れていただけあって、役所の人の言葉も通じないだろうと心配をしてくれた両親が37歳の世間知らずな娘のために通訳をしてくれて助かりました。お世話になっていた姉の家では娘が高熱で苦しんでいるとの連絡が。そして大輔まで。その時荷物を引き取りに空港で係の人の話を聞いていると目がクルクルしてくるではありませんか。すると自分まで。結果家族全員インフルエンザに感染し、母にまでうつしてしまう始末。

 忙しくしていると自分の感情から逃げられるので、流産したことなんて気にしていませんでした。色々なことが落ち着き始めた頃から急に気分が落ち込み、大好きな実家の家族と顔を合わせられないくらい。これからどうして行けばいいのか、急に不安になって目の前が真っ暗。今から考えると鬱状態だったのかもしれません。流産も出産と一緒でホルモンのバランスが大きく崩れて産後うつになるようです。私もそうだったのかもしれません。帰国後一発目のギグのために二人でリハを試みるも、急に泣き出すことも。自分でもコントロールできない感情。人前に出てライブできるのか?とギリギリまで考えるほどでした。もうどうしようもなかったのです。

 でもあれから一年が経ち、こんな私だけどみんなが暖かく支えてくれて、新しい土地でもたくさんの友達に迎えてもらい、見守ってくれたおかげでいつもの私に戻れました。本当に本当にあの時は3つ目のかわいい笑顔に会えるのを楽しみにしていましたが、今はあの時の出来事に感謝しています。あの時があったから、人の痛みが少しわかるようになりました。(流産って本当に辛いものですね)あの時があったから、周りにいてくれるみんなのありがたみがわかる。あの子は小さかったけれど私を大きく変えてくれた大切な命だったんだな、と思えるようになりました。そして今ここに生まれてきた世界中の命は奇跡なんだと思いました。

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