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「競争」から「協調」へ ~【櫻坂46】TAKAHIRO先生の振付~

先日の「3rd Single BACKS LIVE!!」でのコメントでも感じたのだが、意外にメンバーの皆さんが、いろいろと考えながら活動をしていることがわかる。
 ・表題曲センターに選ばれる・・・
 ・櫻エイトに入る・・・
 ・ポジションが3列目になる・・・
 ・レギュラーの番組が増える・・・
・・・などなど。
前向きなことから、少しネガティブなことまで、考え始めると、それが気になって、寝られなくなってしまうのも理解できる。
一般社会にいる自分たちでさえ、自分が置かれているポジションについて考えてしまうのであるから、ある種の人気商売とも言えるグループアイドル活動をしている彼女たちが考えないわけがない。

アイドルと呼ばれる人たちがTVの中で歌うようになってから、かなりの年月が経った。
中でも、グループアイドルというジャンルには、鑑賞する際の独自な価値観が存在している。
と書いている自分は、グループアイドルのファンになってから10年にも満たない全くの新参者なので、それほど詳しいわけでもないのだが、欅坂46をきっかけとして、ファン活動をしているうちに、それなりの作法や意味が自然と理解できるようになってきた。

そのため、冒頭にあげたようなパフォーマンスのポジションが持つ意味や選抜に入る意義なども、一種の指標としてみるという鑑賞方法ができるようになっている。
特に、AKB48のように、競争原理を持ち込んだグループアイドルの誕生以来、人気とポジションは正比例することが多くなった。
「センターになる」「神セブンに入る」「表題曲選抜に入る」といった差別化によって、自分たちが推しているメンバーが、グループの中でどのくらいの人気であるのかがわかるシステムが確立されたのである。

AKB48の公式ライバルとして企画された「乃木坂46」も、基本的には、このポジションを人気のバロメーターにするというシステムが導入されている。ただし、総選挙をするというところまではいかず、握手会の売上げなどから、運営側がポジションを決めるというスタイルがとられている。

欅坂46や日向坂46も、AKB48や乃木坂46と同じ「秋元グループ」である。
そのため、グループアイドルとして彼女たちをみる時、どうしても、ポジションで判断するという慣れ親しんだ見方をしてしまうのは、仕方が無いのかもしれない。

それでも、欅坂46や櫻坂46、日向坂46のパフォーマンスに心を打たれ、熱心なファンになった人たちは、この見方が間違っていることをよく知っている。
なぜなら、どのポジションにいるメンバーでも、楽曲ごとにしっかりと役割があり、誰が欠けても、その曲に込められたメッセージが成立しないものであるということを理解しているからである。
このような見方が出来るのは、TAKAHIRO氏の振付に大きな要因がある。
どの列にいようと、その曲のメッセージを表現する時にふさわしいと判断すれば、そのメンバーを積極的に使うのが、彼の振付方法である。
そのため、3列目であっても、楽曲の中でセンターに立つことがあったり、センターであっても、一番後ろでダンスをするということが頻繁に起こるのだ。

彼女たちを従来の見方で観ていた人たちも、そのパフォーマンスを観ているうちに、このグループは違うということに気がつくのだろう。その物語性の強いパフォーマンスに触れているうちに、すっかりとポジションのことなど気にならなくなってくるのだ。
もちろん、楽曲の中に登場する主人公を表現するために、センターは存在するのだが、それはあくまでも、その役を演じているだけである。
この「役を演じる」という意味では、後列にいるメンバーも違う役を担っており、そのメンバーがいなくなると物語は完成しないという意味では、センターと同価値の存在である。

この振付の手法は、TAKAHIRO氏の発明と言ってよいだろう。
「競争」ではなく、「協調」によって物語ストーリーを作っていくというやり方は、欅坂46から始まる独自のスタイルである。
このようなスタイルが採用できる条件として、欅坂46や日向坂46が「全員選抜」であるということが大きく影響しているのは確かであろう。
どの音楽番組でも全員が出演するのであれば、どのメンバーのファンも安心して、パフォーマンスに集中できるからだ。

欅坂46から櫻坂46に改名されるタイミングで、「表題曲選抜」と「櫻エイトシステム」が導入された。
そのため、シングルリリースに伴う音楽番組への出演が、全メンバーの出演とはならなくなった。そこで、どうしても、前述の「グループアイドルの見方」が頭をもたげてくることになる。
しかし、メンバーの皆さんは、そんなことにこだわる必要はない。
なぜなら、彼女たちのパフォーマンスが好きなファンたちは、ポジションによって人気を判断するという見方をしていないからである。
それよりも、今日のパフォーマンスで、どれだけ感動させてくれるのか固唾を呑んで見守っているというのが、実際のファンの姿であろう。

その点、ファンを信頼し、楽曲のメッセージを表現し、1人でも多くの観客に届けるということだけに注力しているのが、藤吉さんである。
3枚目シングルのタイミングで、櫻エイトではなくなった彼女に対して、その心境を尋ねたインタビューを読んでも「自分が制作に参加できない曲があるのが悔しい」ということを言っている。
そんな彼女の言葉からは、自分のポジションなどは全く気にしていないことがわかる。
「今回のシングルでは、自分が主人公という役割ではなく、違う役でいることが求められている」ということを、非常によく理解している発言と言えるだろう。まさに、これこそが、TAKAHIRO演出の真髄である。

TAKAHIRO氏が中心となって振付をしている櫻坂46や日向坂46のファンは、このことをよく理解している。
メンバーの皆さんは、このようなファンの鑑賞方法をもっと信じてもよいだろう。
それよりも「楽曲の世界を伝えることに集中していくこと」こそが、「彼女たちの魅力が一番輝き、観客が最も感動する姿である」ということを忘れないほしいというのが、ファン共通の願いと言えるのではないだろうか。

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